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8月, 2018の投稿を表示しています

【読書日記】平等ゲーム

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題名: 平等ゲーム 著者:桂 望実 ※小説のネタバレの可能性があるため、気になる方は読まないことをお勧めします。 あらすじ 瀬戸内海に浮かぶ「鷹の島」。そこでは…島民1600人が、全員平等。現代社会の歪みを是正するために生まれた、究極の楽園。人々は、嫉妬や私欲にかられることなく、何不自由ない豊かな生活を約束されている。まさに、天国。の、はずだった―。 主人公はこの鷹の島で育った青年(以下、主人公)。 そこに日本本島から移住の権利が当選した青年(以下、青年)を案内するところからストーリはスタートです。 移住権の当選確率がすごい低いという設定があるのですが、それだけ平等に過ごせるとか不自由ない生活への憧れがすごいということなのでしょう。 現実でも憧れる人は多そうです。 主人公は、島の平等システムに誇りを持っており、これほど素晴らしい世界はないと絶賛しています。 仕事は抽選で持ち回り、全て平等に決められる世界です。ある意味小さな社会主義の国と言えるかもしれません。 青年はそこで暮らし始めますが、あるとき主人公に尋ねます。 「いくら用意すればいいのでしょうか?」と。 わかった方もいるかもしれませんが、袖の下というやつです。 完全な平等なんてなかったというやつですね。 いくら納めればこの仕事に就かせてくれる便宜を図るなどが、恒常的になっていたが、 主人公はそれを知らなかっただけです。 平等システムに誇りを持っていた主人公は、このことにかなり衝撃を受け、 島全体に不信感を抱き、結果・・・、は実際に読んでいただければと思います。 さて、主人公にとって島民にとって、完全な平等が本当に約束された状態だったとして、 本当にここは天国だったのでしょうか? 仕事の割り当てが平等ということは、したくないこともしないといけないし、 得意なことに当たればラッキーですが、苦手なことに当たればその年は憂鬱です。 あらずじに何不自由なくと書いてますが、実際は不自由な感じがします。 仕事があみだくじで決まるのを想像してみれば、ですね。 それでいいという人もいるでしょうし、嫌な人もいるでしょう。 私は自分で決めた人生を歩みたいと思ってます。 皆さんはこの平等の島に住みたい、永住したいと思いますか? それともある程度制限と不平等の中

見返りは天下の回り物

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見返りを求めることほど、効率の悪い賭けはないように思う。 「〇〇してあげたのに、あの人は何もしてくれない」みたいなのを時々聞くが、 「してあげたのに」というスタンスが上から目線になっているし、 そもそも「お金を貸したほうは覚えているが借りたほうは忘れている」というのに代表するように、された側は覚えていないことのほうが多い。 だから見返りを求めようと思っても、たいてい期待外れに終わる。 見返りを求めてますなんて言ってしまおうものなら、 あの人は損得勘定で動くから、というようなことまで言われかねない。 期待せずに返ってきたらラッキーくらいに留めておくのがいいはずである。 この考えにずっと変わりはないのだが、これがなかなか難しいと感じる。 見返りを完全に求めないなんてことが出来る人もいないとは言わないが、 多くの人にとってそれは厳しいのではと思う。 私だって見返りを求めたいときだってある。 例えば、あなたはプライベートで親しい人から無料でお願い事をされた。 パソコン詳しいから設定してほしいとか、英語得意だからこの文章を翻訳してほしいとか、などなど。 あなたはそれに応える。もしかしたら何回か頼まれるかもしれない。 依頼者からお礼は言われる。でも行動で返ってくることはない。 こんなにやってあげているのにと思うことはないだろうか?というお話である。 イライラしても仕方ないので、個人的な意識の変え方を考えてみた。 賭けの期待値、オッズが低いなら賭ける対象を変えてしまえばいい。 どこか。直接依頼された当人でないなら、他の人しかない。 そうだ!Aさんからの見返りをBさんから求めよう。 変だろうか?でもこう考えてほしい。 Bさんからもらった優しさを、Aさんに与えているだけだと。 Bさんから先にもらったように見えるので、見返りという言い方が変かもしれないが、 またBさんからさらなる優しさをもらえるかもしれないし、次はCさんが自分に対して何かしてくれるかもしれない。 誰かに優しくされたら、自分が過去誰かに優しくしていたからだ。 誰かに助けてもらったら、自分が過去誰かを助けたからだ。 だからもっと人に優しくし、人を助ける人になっていくのではないかと。 見返りだって天下の回り物だと考えてみればいい。 俗に言う、情けは人の為

当たり前にお金を払わないのはヤバいと思う

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皆さんはネットゲームやスマホアプリのゲームで、課金したことありますか? 入口は無料だけど後からお金を取るシステムが多いですよね。 私もいくつかやったことがあります。 そんな中で私が最初の課金をしたときの話を書こうと思います。 課金する理由はいろいろあると思います。 先に進むためだったり、ランキングで上位に食い込むために、 単純に欲しいカードがあるためだったりと、まあいろいろあると思います。 私もこのときアイテムを買いました。 未だにアイテム未使用で放置状態ですが、アイテム買ったときから使わないだろうなと思っていたので、 特に問題はありません。 私が課金した理由は「ゲームが面白くてお礼がしたかったから」です。 入口が無料のゲームは、課金せずに遊ぶ主義であった私ですが、 ある日ふと思ったことが、 「ゲームを作るのにも維持するのにもお金がかかる」という当たり前のことです。 そして昔教えていただいて今も大事にしている考えが、 「好きなものを繁栄させたい、残ってほしいと思うならお金を使いなさい」ということ。 この2つを合わせるなら、「好きなものにお金を払う」というただ単純な図式です。 何当たり前のこと言っているんだと思うかもしれませんが、 入口が無料のゲームを遊んでいる、というよりは何でも無料で手に入りやすくなった生活をしていると、 この当たり前のことが頭によぎらなくなってきていました。 好きだろうが何だろうが無料で手に入れてやるという感覚になっているのです。 それは製作者にお金なしで生活してと言っているのに等しいということにも気づかずに。 今回アイテムを買うという形でお金を払いましたが、(お金払う窓口がそこにしかなかったので) ゲームをプレイすることに対して、あとからお金を払ったというのが、 私がお金を払った認識です。 昔のゲームは先にお金払って遊んでいましたが、ただその順番が逆になっただけ、 アイテムがほしくてお金を払ったのではなく、プレイすることにお金を払う、 このことを思いださせてくれました。 自分の課金体験をつらつらと書きましたが、言いたいことはただ一つ、 お金払うって大切ですよ、特に好きなものに対しては。 コンプガチャが問題になったりしましたが、お金払って貢献しているのに違いはありません

経営学のゲーム理論でも実務に少しは応用できるのでは?

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私は大学で経営学部に属していたので、机上ながらも経営については多少学び、ビジネス法学科だったので、六法全書にも触れていました。 授業の中でいくつか印象に残ったことはあるのですが、その一つがゲーム理論を用いて経営を考えるということです。 突然ですが、以下の例を考えてみてください。 二人の人間、あなたとSさんがいます。 二人の目の前には100万円があります。 あなたは、自分がいくら受取りSさんにいくら渡すか提案する権利があります。 Sさんは、あなたの提案を承諾するか拒否する権利があります。 Sさんが承諾した場合は、あなたが提案した金額をそれぞれ受け取れます。 Sさんが拒否した場合は、お互い1円ももらえません。 さてあなたは自分がいくら受け取ると提案すべきでしょうか? 正解は99万9999円です。 Sさんは拒否した場合、1円も受け取ることが出来ません。 承諾した場合、0円になる提案以外は1円以上受け取ることが出来るので、 拒否した場合と比較して必ずプラスになります。 つまりSさんは0円以外になる提案は必ず承諾します。 その条件下であなたが最もプラスになる提案はいくらか、 というのが答えになります。 とまあ理論上という話をしましたが、これを現実にやるかという話です。 Sさんが一回も会ったことがなくこれからも会うことがない人ならやるかもしれません。 でもこれが親しい友人だったらどうか、 そうでなくても今後も付き合いがありそうな人だったらどうか、 さすがにここまで極端な提案をするかといったらしないのではないでしょうか。 今回はお互いの感情を無視していますが、 Sさんが相手にそんな持っていかれるくらいなら、 共倒れを狙って拒否するかもしれません。 またこの提案は一回限りするということになっていますが、 これが複数回にわたり提案側を交代しながらするとなったらどうするか、などなど条件がいろいろ付随する形式で考えてみると面白いです。 ここまでゲーム上の話をいろいろと書いてきましたが、 実際のビジネスの場合でもこういうことが起こります。 協業した場合の利益の分け方どうするか、 目に見える利益だったらわかりやすいですが、実はSさんからは総額がいくらになっているか見えないというような場面だって実際あるでしょ

他人に言うだけで達成できる目標なんてない

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目標達成の手法の一つとして、「目標を他人に言ったほうがいいよ」というのがあります。 人に宣言することによって、言ったからにはやらなければならない、できなければ恥ずかしいという状態にして、 奮起するというものです。 たしかに一理あります。 言ったたからには実行しなければ、口だけは達者なんだけどね。と言われるようになってしまいます。 自分にプレッシャーをかけるという意味では素晴らしい取り組みです。 ビッグマウスというのが一時期流行りましたが、これも一種だと思います。 成し遂げたいことを他人に言って、目標達成する、格好いいですよね。 でも私はこの方法にかなり懐疑的です。 人に言うだけで目標達成するなら、みんな目標達成している気がするし、 私個人でいうなら、この方法で達成したことがかなり少ないんですよね。 私がやり方下手なだけなのでしょうけど。 なぜうまくいかないか考えてみると、なんのことはないことに気づきました。 自分が全然本気でもないからである、という単純な事実です。 どういうことか。 資格試験のときの話をしようと思います。 社会人になってから、国家や民間問わず、いくつか取得を目指し 合格したものもあるし、逃げ出したものもあります。 その中で合格したものはだれかに言っていたかというと、そんなに言っていなかったと記憶しているし、 逆に合格しなかったものは、言っていたものもあります。 計画の立て方や進捗の把握の仕方も違いはなかったと思います。 そんな中での違いは自分と約束したか否かだったと思っています。 会社に取り敢えず申告したとか、上司に見栄えのいい目標言ってみた、ではなく、 この目標をどうにかして達成したいから、自分に協力をお願いする、 こんな状況に自分をもっていけるかではないかと。 こうなると試行錯誤そのものが楽しいので、いつの間にか合格の波に乗っている。 見栄を張って言ってしまうと、試行錯誤が苦しいので、フェードアウトしてしまう。 見栄をエネルギーに出来る人もいますが...。 試行錯誤が楽しい=できないことを楽しめる状態は、 将来の自分へ、私はそこにたどり着くよと宣言し、 今の自分へ、たどり着くために協力してねと約束することでなるけれど、 人に言うことでその状態になることは、難しいのではない

【読書日記】余命10年

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題名: 余命10年 著者:小坂 流伽 ※小説のネタバレの可能性があるため、気になる方は読まないことをお勧めします。 『あらすじ』 死ぬ前って、もっとワガママできると思ってた。 二十歳の茉莉は、数万人に一人という不治の病にかかり、余命が10年であることを知る。 笑顔でいなければ周りが追いつめられる。 何かをはじめても志半ばで諦めならなくてはならない。 未来に対する諦めから死への恐怖は薄れ、淡々とした日々を過ごしていく。 そして、何となくはじめた趣味に情熱を注ぎ、恋はしないと心に決める茉莉だったが……。 衝撃の結末、涙よりせつないラブストーリー。 「死ぬ準備はできた。だからあとは精一杯生きてみるよ」  寿命と恋愛ものを掛け合わせた王道ものという印象。 そういったものに普段から触れられている方だと、そんな衝撃というほど衝撃の結末でもないが、考えさせられることはいろいろとありました。 個人的には恋人よりも親友との掛け合いの方が好み。 ちなみにあらずじにある趣味に情熱を注ぎというのは、この親友から始まる。 本当は恋人との関わりとか命との向き合い方とかに惹かれ、それについて論ずるべきなのかもしれないが、この親友なくしてこの作品は語れないと思う。 親友は一言でいえば、「世間とのつながり」である。 病気の影響で、引きこもりがちで心も閉じ気味の主人公を 趣味の世界に引きずりこみ、同じ趣味を持つものどうしになり、他の同じ趣味の人とのつながりを作っていく。 最終的にそこで壁にぶつかったりと、いろいろあるのだが、そこは割愛する。 他人とのつながりの中で、承認され成長されていくのは、親友を通じ世間とつながっていくところである。 命の期限に関係なく、懸命に生きることの尊さと葛藤が感じられると思うので、 それを感じられるだけでも読む価値はあると思います。 一方恋人との出会いはネタバレになるので詳しくは避けるが、 同窓会で出会って関係性を発展させていく。 恋はしないと決めていた主人公の心境の変化も見ものの一つではあると思うが、 そこは読んで実際に確かめてほしい。 >読書日記一覧へ << 前記事 見えない衝動こそが一番怖いのではないだろうか  |  次記事 他人に言うだけで達成できる

見えない衝動こそが一番怖いのではないだろうか

※注意 今回の話は、人が亡くなるとか命がどうとかの話になるので、 気にされる方はご覧にならないことをおススメします。 以下のニュースを読みました。 夏休み明け、増える子の自殺 未遂の「その後」支える 福岡大病院の取り組み 自殺未遂者の追跡調査では、1年以内に約3%、5年以内に約9%、5年以上では約13%が再び自殺を図っていた。 ところが日本の多くの病院では未遂者へのケアは薄い。例えば、飛び降りて骨折すれば整形外科、睡眠薬などの過剰服薬は内科、手首に傷があれば外科などと症状によって振り分けられ、「自殺未遂者」という情報は抜け落ちてしまう。精神科が関わることなく退院し、再び自殺を図る悪循環から抜け出せないケースが多いという。 簡単に言えば精神科と各科の連携によって、再び自殺するのを防ぐという取り組みのようです。  確かに目に見える傷が癒えたところで、自殺の原因そのものが解決していないわけですから、 そういったものを二人三脚で解決していこうとする取り組みは素晴らしいと思います。 人を支える・支援する取り組みは是非ともどんどん広がってほしいと思います。 一方でこれを読んだときに、違和感というか何か足りないという気がして、 その原因を考えていました。 そして気づいたのが、これは自殺未遂の支援ではあるけど、自殺”行動”未遂は支援できない、ということです。 ここで意味する自殺未遂は、行動を実際に起こした(飛び降りた、服用した)が存命である、自殺行動未遂は行動を実際に起こそうとしたが起こせなかったという意味です。 個人的な経験から思うのが、この自殺”行動”未遂にも支援の光が当たればと思うのです。 自殺未遂にしても自殺行動未遂にしても、その原因を解決しなければならないというのは、同じだと思います。 ただ不謹慎な話をすると、行動を起こしていれば、結果病院のお世話になり、自殺を考えていたんだなということが、明るみになります。 場合によっては周りの方が原因の解決に動いてくれるかもしれませんし、今回のニュースのような支援のお世話になることもあるでしょう。 でも行動を起こしていなければ、隠れたまま、状況が変わるには、その人が行動を起こすほかありません。 私は幸いにして骨を折ることもなく、今は心身共にそれなりに健康に過ごせていますが、

見えていない部分もマネをする

昨日に引き続き人のマネをすることについて書いていきます。 お時間許す方は昨日の記事もご覧ください。( 完全にマネするって難しい ) 最近読んだ中で誰かのマネをしたいときに気を付けることとして印象に残っているのは、 「見えるところをマネするのは誰でも意識するけど、見えないところまでやってこそ」というものです。 例えばですけど相槌打つタイミングが上手い人の相槌を打つタイミングをマネするのは当然として、絶対に相槌を打たないタイミングや話がもしかしたらあるかもしれない。 その”しない”状態をマネしないと片手落ちになるということです。 いやこれ大事だなと思ってます。 活躍されている人ほど、実は見えないところでいろいろとされているのはよく聞きますし、この見えないところこそ本当に大事なのだと思います。 その辺りも意識しながら人を観察するとまた別の発見があるかもしれません。 ちなみに余談ですが、昨日の絵の話を膨らませると、 動物の絵も見えない部分まで下書きをすることが多いようです。 例えば犬の絵を書く時に構図的に前足が体に隠れて見えない、 でもそれでも下書きでは書いて完成形では見えないようにする。 そうするときちんとバランスが取れたものができやすいらしいです。 隠れている部分にいかにスポットライトを自ら当てにいくか、 いろいろと試行錯誤していこうと思います。 << 前記事 完全にマネするって難しい  | 次記事 見えない衝動こそが一番怖いのではないだろうか >>

完全にマネするって難しい

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トレーシングペーパーってご存知でしょうか? 薄い紙で、何か書いているものの上に紙を敷いて 透かして写すことで、模写・複写するためのものです。 一時期、これを使って絵を模写するのにはまっていたのですが、 上からなぞるだけなので、色は別ですが、形はほぼ同じものが出来上がります。 じゃあ次はトレーシングペーパーなんて使わず、 横に置いて確認しながら、形をマネしようとすると、 やったことある方はわかると思いますが、同じにするのはけっこう難しく、 場合によっては全然違うものが出来上がります。 頭に浮かべている像が、先入観とかが混じることでそもそも違っていたり、 浮かべているのが正確でも、思った通りに手が動かなかったりと、 いくつか理由があります。 そんなことを考えていると、ふと思ったのが、 他人の行動や所作をマネしようとしたときになぜかできないのも、 その辺りにあるのではないかと考えることができるのではと思いました。 ただマネをしようとしているだけなのに、先入観、つまり自分の色みたいなものが混じってしまったり、 頭ではわかっているはずなのに、動きが実はずれていたりと。 (わかっていて行動しないのとはまた別です) 他の人のマネをすることが、学びの第一歩だというのは、よく言われる話ですが、 完全にマネをすることの難しさを最近感じます。 守破離とも言われるように、自分の色を出すのは型を守ってからのはずですが、これが本当に難しい。 じゃあどうすればいいのかと考えてみます。 先ほどの絵を横に置いて転写する話で良く言われているのが、 元の絵をさかさまにして書いてみると、意外に書けると言われています。 理由としては、先入観がなくなるから。 人は犬の絵を見ると、犬はこういうものだというのが無意識に生まれ、 それが手の動きとして出てしまうため、どうしても元の絵通りに表現されなくなります。 ただ逆にされるとそもそも犬と認識できなくなり、先入観がなくなってしまうため、 元の絵をより正確に模写するようになるようです。 これを流用できないかなと。 例えば上司の動きをマネしたい、でもできない。 なら上司と部下という視点を変える。 自分が上司で誰か部下に自分はそのマネしたい動きが完璧に出来ている体で部下に教えてみる、という

最初の印象か?最後の印象か?

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心理学の用語として、「初頭効果」「親近効果」というのがあります。 ざっくりいうと「初頭効果」は、最初の方が一番印象に残り、 「親近効果」は最後の方が一番印象に残る、というものです。 よく第一印象が悪いと、それをひっくり返すのは難しいと言われますが、 それが「初頭効果」だと思っていただければと思います。 逆に、数人のプレゼンを聞く場合に、最初に聞いた内容が記憶に薄く、 最後に聞いた内容のほうが印象に残るというのが、「親近効果」です。 実際の場面ではですが、 1対1で対面する場合には、初頭効果がより強く出るので、 最初だけでも印象良くしておくといいと思います。 複数対1になる場合は、最後が印象強くなるので、 自信があれば最後に自分の番を持ってきたほうがいいと思います。 最初の印象が大事か最後の印象が大事かは場面によって変わってくるので、 頭の片隅に入れておくといいかと思います。 << 前記事 【読書日記】ものづくりのイノベーション「枯れた技術の水平思考」とは何か?  |  次記事 完全にマネするって難しい >>

【読書日記】ものづくりのイノベーション「枯れた技術の水平思考」とは何か?

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題名:ものづくりのイノベーション「枯れた技術の水平思考」とは何か? 著者:横井 軍平 読了時間:1時間( 207ページ ) 本のタイトルにもなっている「枯れた技術の水平思考」とは 任天堂の救世主でかの有名なゲーム&ウォッチを作った横井軍平の考えで、 ビジネスマンとりわけ技術者は肝に銘じておくべき考えだと思います。    高価だった電卓の技術を安価になってからゲームの作成技術に横展開する ゲーム&ウォッチは電卓が元らしいですが、電卓技術を水平思考、つまり横展開してゲームにしました。 枯れた技術とはこの場合、高価だった電卓の技術が安価になるのを待って使うことを指しています。 これによって安く今までにないものをお客様に届けていたようです。 天下の任天堂にいながらも最先端技術を使いたがることに釘を刺していたのは面白いと感じます。 技術者としては、最新の技術を使いたくなりますが、 それによって提供するものが高価になっては普及も難しくなりますし、 本当に必要なところに必要なものが届かなくなる気がします。    ゲームボーイと同等のものがカラーで他社から発売されたとき 発売当初のゲームボーイをプレイされたことがある方はわかると思うのですが、 今の携帯ゲーム機と比べるとかなり重く、画面表示の色も白黒でした。 (ポケモンの第一世代ではものすごくお世話になりました) じゃあ次出すのはカラー表示の筐体かということで、 部下からはカラーで出しましょうと言われていたらしいですが、 横井氏はこれを何度も突っぱねたそうです。 そうこうしていると、他社が先んじてカラー表示の筐体が出て、 部下たちはかなり慌てたそうですが、 横井氏はカラーと聞いてむしろ安心したと言ったようです。 そしてその考えは的中し、カラー表示の筐体はすぐに市場から姿を消しました。 理由としては、カラーにしたことによって他の機能が劣化した(電池の消耗が激しかった)ためとされています。 機能をただ良くするだけではダメで、本当に必要とされているか、 何故必要なのか、そこに立ち返らせてくれるエピソードだと思います。    まとめ この技術すごいじゃんとか、これは絶対に喜んでくれるはず、と思ってやってみると、 火傷することが多々あるかと思います。 一人よがりにならない

メモを取るべきか

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メモを取るべきか悩むことがあるのですが、やっぱり取ったほうがいいよなあと毎回思うという話です。 以前このブログで紹介させていただいた本「社長の「まわり」の仕事術」の中に、 「TODO管理などは一切やらない。忘れるようなことは優先順位が低いと思っています。」という文言があります。 大学時代に読んだ本の中に「紙になんて残さない。忘れる程度のことは忘れていい」と書いてあって、そんなものかなと思った記憶があって、ずっと頭の片隅に残っています。 個人的にはこの説に賛成なのですが、扱いに困るのが、 忘れていいことと絶対忘れてはいけないことの中間の物事の扱いです。 例えば、今すぐには必要ないこととか、やるかどうか検討中だけどやるとなったら必要なこととか。 メモ取る労力割くほどかと思いつつ、でも後で困るかもみたいなやつありませんか? メモ取る程度それほど労力かと言われそうですが...。 何をメモするかという取捨選択が一番面倒そうなので、 基本的には頭に少しでも引っかかったらメモするべきだと思っています。 昔、忘れる程度のことは忘れていいんだと思って、何も記録しなかったら、 全く思い出せなくて困るということがありました。 記録大事です。 言ってくださった方に2度手間取らせないためにも記録を取ろうと思った経験でした。 メモするなどして何か外に残すということは、それを見て思い出せるようにするということなので、 忘れても問題ないようにすることでもありますし。 忘れるということは他のことに頭のリソースを割けるということなので、 より創造的なこともできそうです。 聞いた本人はそれほど重要だと思っていないけど、 言った人からすればものすごく重要だと思っていることもありますので、 手帳なりPCなりに残しておくほうがいいと思います。 頭の整理になるかとも思いますし、あとで見返すことで新たな発見があるかもしれません。 アウトプットする癖はこういうところからつけていくのがいいのかもしれませんね。 << 前記事 【読書日記】転職の思考法  |  TOP  |  次記事 【読書日記】ものづくりのイノベーション「枯れた技術の水平思考」とは何か? >>

【読書日記】転職の思考法

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題名:転職の思考法 著者:北野 唯我 読了時間:1時間15分( 260ページ ) この本の紹介を見たとき、これは転職がどうとかではなく、 キャリアのプランニングを考えるための本なのではと思いました。 改めて考えなおす機会になると思い、手に取りました。    マーケットバリューは技術資産×人的資産×業界の生産性 ここで感じたのは、今自分がどの資産を狙って伸ばしていくか、 そして自分が資産だと思っているものも、一度棚卸してみると外では通用せず、 実は資産ではないかもといったものがあることです。 本書を読んでみると自分がどこを狙いたいか、どのタイミングでどこを伸ばすべきか、 そして資産だと思い込んでないかがわかります。    「何をするか」に重きをおくto do型の人間と、「どんな人でありたいか」を重視するbeing型の人間がいる to do(コト)に重きをおく人間:何をするのか、で物事を考える。明確な夢や目標を持っている 仕事の楽しみ方:世の中に革新的な商品を残す、会社を大きくするetc... being(状態)に重きをおく人間:どんな人でありたいか、どんな状態でありたいかを重視 仕事の楽しみ方:多くの尊敬できる人に囲まれている、世の中にこんな影響を与えているetc... 99%の人間はbeing型なので「心からやりたい」ことがなくても悲観する必要はない。 ただし小さなやりたいことは誰でも持っている。 今回これが一番心に響きました。 小さなやりたいことの見つけ方や自分がどういう状態か見つめる方法など書かれていますが、何より自分がどちらの型の人間か見極めておくことはかなり重要だと思います。 そうでないと間違った方向に進む可能性がかなり高いと思います。 この定義だと私はbeing型の人間で、憧れの人から仕事を依頼されたや、 自分のやったことで人の心を動かしたなどは、かなりモチベーションが上がります。    まとめ 冒頭書いた通り、キャリアのプランニングの本だと思うので、 転職どうこう関係なく、今の会社で成果残していきたと考える人にも ぜひ読んでいただきたいです。 私は心の整理・考えの整理ができましたし、頭のモヤモヤが一つ晴れたと思います。 人生100年時代と言われる時代だからこそ、こういうのを考える

面倒くさいは行動の大敵

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人は”役に立ちたい<手間”になると動かなくなるという話。 5年くらい前、生涯学習で有名な某会社のサービスで、速読にチャレンジしたことがあります。 半年のプログラムは3か月くらいで挫折しましたが...。 速読の学習に興味ある方は教材からどういう方法で習得するのかなど、 すべてお伝えしますので声かけてください。 少し話が逸れましたが、これらの講座の学習期間が終了間際になると、 お客様インタビューなる用紙が送られてきます。(ネット回答も可能です) インタビューの項目は、受講したきっかけとか、 受けてみてよかったこととか、よくあるような項目が並んでいます。 その中に、写真を送ってください、という項目があります。 インタビュー記事に写真を載せて、より真実味を持たせるためでしょうか? 私、途中までインタビュー送ってみてもいいかなと思って色々書いていたのですが、 この項目で送るのを断念することにしました。 顔が載るのがNGだとかそんなことは今更言いませんが、 書面に載る用の写真を撮影し、その上送るっていうのは、かなり手間だと思うわけです。 写真の中身を気にしますし、封筒に入れて送り返すとなったら、 プリントアウトしたものを送ることになるので、負担がまた増します。 普段からそういう写真が手元にある方なら気にしないのかもしれませんが...。 スマホの中にもそういうのがなかったので、見送りました。 これから受講を考えている人に少しでも参考になればと思ってはみるものの、 この手間の大きさはなかなか打破できないものでした。 少なくとも私の中では。 こんな記事もある。 要諦は人は違法と認識しながら無料のものを使ってたのは、 無料だからではなく、利便性、家から出なくても欲しいものが手に入ることを 使う人は選んでいたという話です。 消費者には「道徳」とか「法律」で古臭いやり方を押し付けても、何も変わらない。 この面倒くさいをいかになくせるか。 このなくせるものを情報収集し、情報発信し、そして時には自分がこの面倒くささをなくせるものを作る。 そういう風になっていこうと思う所存です。 << 前記事 【読書日記】「好きなことだけやって生きていく」という提案  |  TOP  |  次記事 【読書日

【読書日記】「好きなことだけやって生きていく」という提案

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題名:「好きなことだけやって生きていく」という提案 著者:角田陽一郎 読了時間:2時間( 279ページ ) 自分の好きなこと、したいことをいかに取り入れ、自己実現していくか、 周りの人にそういった考えをどう伝えていくのか、 そういったものを考えてみたいと思って手に取ってみました。    「好きなこと」仕事にしたいと思っているなら、既存のものと「好きなこと」の組み合わせを考えてみてください 経済学者の岸氏が講演でシュンペーターが言うにはという形で、 イノベーションとは既存×既存の組み合わせだと言っていました。 その理論でいくとAKBの握手券付きのCD販売もそうらしく、 お菓子業界では当たり前だったおまけ(ここでは握手券のこと)と CD販売を組み合わせたことがイノベーションとのこと。 組み合わせの大事さがわかる言葉だと思います。 私個人としては、好きなことをどこまで仕事をするかというのは今も模索中ですが、 得意と好きを結び付けたいなという理想を持っています。 それは一人の中の”得意×好き”かもしれないし、複数人の”得意×好き+得意×好き・・・”かもしれませんが、どういった形にせよ、そういった世界を作っていけたらなと思います。    ネット空間上では、企業より個人の方が信頼度(クレジット)が上である どこに所属するかということもさることながら、 個人としてどう生きるかということをはっきりさせることの大事さを考えさせられます。 ホリエモンこと堀江氏が書籍のなかで、これからは企業という形ではなく、プロジェクト型の組織が増えていく。 それは必要なときに集まり、目的を達成したら解散し、必要になればまたその時に必要な人で集まる。 こうなってくると本当に個人でいかに力を持つかというのが必要かと感じます。 今流行りの働き方改革も最終的には個人として生きる力を身に着けようということだと思っています。 短時間で今まで以上の成果だったり、自分に合った場所を探し成果を上げるというのは、 結局のところどこかで個人の力をつける必要があるからです。 その一つの場所としてすでにあるのが、ネットという空間なのだと私は思います。    まとめ 好きなことだけ、楽しいことだけで人生をどこまで埋められるのか、意外に難しさを感じます。 好きだか

防煙たれ壁

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今スーパーマーケットの天井に時々ガラスが垂れ下がっているのを見かけることがあると思います。こんなやつ。 ご存知の方もいると思いますが、火災発生時に煙が広がるのを抑えるために設置されています。 防煙たれ壁という名前みたいです。 実家に帰ったときに親に聞いた話ですが、大阪の方ではこの防煙たれ壁の改修が広がっているようです。 2か月ほど前、大阪で地震ありましたが、その影響でこの壁がいくつか落下したようです。 地震自体が8時くらいで、人への被害はないものの、 万が一落ちた時に人に当たったら問題だということで、 落ちて当たっても大丈夫な軽量のものにするなど、対策が進められているようです。 ただこの張替え作業はスーパーが閉まった夜にしかできないらしく、 開店作業との闘いらしいですが。 私たちが安全安心でいれるように、いろいろと尽力されている方がいらっしゃることを忘れてはいけませんね。 << 前記事 【読書日記】社長の「まわり」の仕事術  |  TOP  |  次記事 【読書日記】「好きなことだけやって生きていく」という提案 >>

【読書日記】社長の「まわり」の仕事術

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題名:社長の「まわり」の仕事術 著者:上阪徹 読了時間:1時間30分( 256ページ ) 「社長に日々振り回され、ビジョンを実現していこうと奮闘している人たち、そういう人にこそ学ぶべきなのではないか」と前書きで書いている通り、 いわゆるNo.2の方や幹部として何をすべきかなどは学びになると思います。 私もそんなことを思いながら手に取ってみました。    「社長はどう思うかな」という主語で議論がなされたら危ない。お客様を主語にしないといけない たしかに上司の顔色を伺う必要があるときはありますし、目上の人を活用する必要があるときはありますが、それが中心になるのは危ない。 上に上がれば上がるほど、外を意識することを忘れないようにしたいと思います。    ブレーキを踏む役だとは思いつつ、ブレーキにはなりたくない 忠言を必要としている場面もあって、その時に諫める役割を担っているとおもうのですが、でもやっぱりアクセルを一緒に踏む、ハンドルを一緒に握るというのもかなり大事だと思います。 でも、この「一緒に何かをしたい」と思ってもらえるようにしていくというのがまず大事だというのが、私の意見です。 MAP経営だとバリューを体現する人となるのでしょうか? 「バリュー×本書で述べられていること」で試行錯誤していきたいと思います。    まとめ 本書の最後の方に「社長のすぐそばでうまく一緒にやっていく方法は社長を好きなこと」と書かれていますが、ここがまず出発点だと思います。 好きなだけでは何が出来るのか?という感じですが、 好きでなければ成果を残していくのは難しいのでしょう。 自分の対応が、トップの対応のように思われると書いてもありますが、 トップのビジョンや考えを理解し、それを根底として自信の価値観を合わせながら 行動を起こしていきたいと思います。 << 前記事 【読書日記】桁外れの結果を出す人は、人が見ていないところで何をしているのか  |  TOP  |  次記事 防煙たれ壁 >>

【読書日記】桁外れの結果を出す人は、人が見ていないところで何をしているのか

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題名:桁外れの結果を出す人は、人が見ていないところで何をしているのか 著者:鳩山玲人 読了時間:1時間15分( 207ページ ) 会社の先輩が20歳代の人はおススメの本だよと仰っていたので、 四捨五入すれば30歳になる20歳後半の私も読んでみることにしました。 日々の小さな活動の大事さ、意識しておくべきことを知る、 そして見直すにはいい機会になるかと思います。 読んで勉強になったなと思う点から数点を述べて、 最後に感想まとめ(とおススメの方)を書いてみようと思います。    不安がない日は一日もない 文中に社長の仕事について書かれているのですが、 「会社がうまくいっているときは、『何か見落としているんじゃないか』と胃薬を飲み、会社がうまくいっていないときは、『どうやって会社をよくすればいいのか』を考えて胃薬を飲んでいる。それが社長の仕事だ」 と、サンリオの創業者の方が言ったそうです。 安住の地がないことの象徴でもありますが、だからこそ努力し続けることができるとも言えるのでしょう。 私には経営者の苦悩などは想像するしかありませんが、MAP経営のバリューに「自分経営」とあるように、自分の人生を見るときに、上に書いたことを意識していこうと思います。    成功の定義は立場によって変わる 本書の中に、新しいことにチャレンジすることを社長から厳命された社員が、 チャレンジは出来たが売り上げ目標を達成できず、本部長に叱咤される場面があります。 本部長は売上目標の達成を成功と、社員は新チャレンジそのものを成功と定義していたためにズレが生じたようです。 人が違えば価値観が違い、立場が違えば見えてる景色が違うので、 定義が違うのは当たり前なのですが、意外に見落としがちで、これが言い合いの火種になっていることもあるような気がします。 この当たり前のことを今一度意識していきたいと思わせていただきました。    まとめ タイトルに「人が見ていないところで」というのがありますが、 その部分は最初に触れるだけで、あとは人が見ているところでもやるべきことについて触れられています。 全部やりきることができれば、本書冒頭に書かれているように、 制約の中で桁外れの成果を出すことができるのではないでしょうか? 日々行っている

ブログ開設から3か月経ちました

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ブログを始めて早3か月が経過しました。 最初の投稿が5/14なので、丸3か月になります。 たかが3か月、されど3か月で、何とか更新を止めることなくここまで来ることができました。 3か月の目標だった52記事を超え、66記事を昨日までに更新することができました。 ご覧いただいている皆様のご声援がいただけること、 本当にありがたく思います。 この3か月のブログへの気持ちの変化を、気持ちの整理もかねて つらつらと書いていこうと思います。 開始当初はモチベーション高いもので、楽しく更新していました。 発信自体が苦手な私にとっては、新しいことを始めるというのもあり、 不安もあり楽しみでもあるという状況でした。 目的とかもわりとすんなり決まって、順調にスタートしたとは言えると思います。 といっても、Facebookで投稿していたこと、 自分が感じたことや思ったことを綴るというのを続けていくだけなので、 そんなに書くことも苦になりませんでした。 そんなこんなで2か月くらい経過したころ、 ブログの更新に苦慮している自分がいました。 たった2か月くらいで、それはどうなのと自分で思いましたが、 そうなっているので仕方ありません。 それから2週間ほど、 じきにFacebookで更新の知らせをしなくなったのもこの辺りからでした。 このとき本当にブログを更新することがストレスで、 でもどうしても続けようと思ったので、どうしたものかと考えたのが、 一度Facebookでの告知をやめることでした。 ブログが続けられない理由として時々見る、 見られることを意識しすぎるという状態にはまっていました。 そうするとこれは書いたらダメとか、ここまでは書かないと勘違いされるかも、 という意識が生まれて純粋に書けなくなりました。 なので、告知をなくして、それでも見てくださる人がいるなら、 想いのままを書いていこう、それでどう思われるかは正面から受け止めよう、 という結論に至り、そして今ここまで来ました。 Facebookで告知やめてから閲覧数が1/10まで下がったので、 Facebookの威力がいかにすごいかですね。 気にならないかたは絶対そういう場所で宣伝した方がいいですね。 事実データとして閲覧数が全然違います。 ブ

本を読むことって本当に必要なのだろうか?(続き2)

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昨日の記事での続きとなりますので、 できればそちらを読んでから読んでいただけると幸いです。 (記事はコチラ) 続きのこの記事には、下の2について書いていこうと思います。 1.それでも本を読みたいと考える人へ( 1はコチラ ) 2.本を読まないと考える人へ    本を読まないと考える人へ 本を読む以外に熱中できることがあればと思います。 スポーツなのか芸術なのか、それ以外のことなのか。 人によって様々あるでしょうが、なんでも一途に注力できることって素晴らしいと思います。 私は本を読む価値を価値観を知ることに置いていますが、 それは本を読むこと以外でも得られる価値だと思います。 団体競技のスポーツであれば、他の人との交流で様々な考えに触れることが出来るでしょうし、 近くにいる人とだからこそ取り入れられることもたくさんあるのではないでしょうか? 想像しづらい手に届かない人の言動より、目で見ることが出来る人の言動はそれだけで学ぶものがあると思います。 百聞は一見に如かずなんて言葉もありますしね。 熱中するものの見つけ方のいい方法は私には明確な答えはありません。 他の方がいろいろと言ったり書いたりしています。 曰く、好きなこと、得意なこと、小さいときに時間を忘れてやったことetc... 私が今まで観測できた中でピンとくるものがなかっただけの話ですが。 その中で私が思うのは、少しでも生産に振れないかなというところです。 生産といっても難しいことではなく、料理を作るとか絵を描くとかそんな感じです。 動画サイトで動画を見るだけとか、TVゲームしてたら終わったとかではなく。 言い換えれば他の人が用意したものだけの範囲で終わらせないというところでしょうか。 料理で言えば、材料自体は他の方が作ってくださいますが、 そのあとどう料理するかはその人しか作れないですよね。 他の人が用意したものを少し変化させて別のものを作る感じです。 もちろんこれはバランスの話なので、いい悪いではなく、両方やった方がいいよという話です。 TVゲーム、私は今でも好きです。 最後に。 読書にしろ他のことにしろ、人生を彩り幸せになるための手段でしかありません。 昔は市民権がなかったものが、市民権を得る時代になってきました

本を読むことって本当に必要なのだろうか?(続き1)

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昨日の記事での続きとなりますので、 できればそちらを読んでから読んでいただけると幸いです。 (記事はコチラ) 続きのこの記事には、下の1について書いていこうと思います。 1.それでも本を読みたいと考える人へ 2.本を読まないと考える人へ    それでも本を読みたいと考える人へ 本を読みたいと考えるなら何を読んだってかまわないが、 読み続けたいと思うなら、また違うアプローチが必要だと思います。 新しいことを続けるというのは、プランニングしたときより、想定を超えた大変さがあることが往々にしてあるからです。 そこで個人的に思う、始める人はこうすればというのが、以下です。 1.文字を読むことに慣れる 私は親から「活字を読めるようになれ」とよく言われていました。 マンガでいいし、文字が少ないものでもいいから、字を読めと。 スタートなんて児童書だろうがマンガだろうが小説だろうが啓発本だろうが とにかく何でもいいので読むところからスタートしましょう。 別に何を読んでいるかなんて言う必要ないですしね。 2.興味ある事から始める 人から勧められた本ももちろんいいと思います。 勧めてくれたということは、その人は役に立つと思っているはずなので、きっと有益だと思います。 ただそれだと自分が興味あることから逸れている可能性もあるので、 タイトルや表紙に惹かれたとか、書いた人が好きだという理由でもいいと思います。 3.読み切らないとなんて思わないこと 4.当たりだと思う本なんてそんなにない(読んだからには何か学びをとか思わない) どんなものでも当たり外れがあるので、まず1発でこれだ!と思うものに出会えると考えず、自分に合わなかったなで大丈夫。 読むのがしんどいと感じるなら読み切る必要もなし。 私の肌感的には10冊読んで1冊当たりくらいなので、気にせず次にいきましょう。 後買ったときには、読めなかった本がふと思い返して読んでみると、 意外に面白かったりしますが、それは読む時期が来たということなので、 読めなくても、あとで必要な時期が来たら勝手に読むだろう、みたいな感覚でいましょう。 何か得ようとすると途端に読むのがしんどくなる人は特にこの辺りを意識したほうがいいのではと思います。 こんなところが私が思う本を読み始めると

本を読むことって本当に必要なのだろうか?

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本、とりわけ小説を読むのが好きな私ではありますが、 本を読む必要性についてはかなり懐疑的ではあります。 「本を読んだほうがいいか?」「やっぱり本は読んだほうがいいですよね」 とか聞く人がたまにいると思いますが、 それを聞くと、私の意見としては、 「その質問をする時点で他のことをしたほうが(=読まないほうが)いいのでは」 「あなたがそう思うならそうなのでは(読めばいいのでは)」 と思ったりします。 私個人としては本を読んで、意識できている部分でも気づいていない部分でも 役に立っているシーンがたくさんあると思うのですが、 だからと言って人に本を読むことを勧めるということはあまりしません。 その上で、この記事(と続きの記事)の言いたいこととしては、 自分の体験を書いた後に、 私なりの意見として 1.それでも本を読みたいと考える人へ 2.本を読まないと考える人へ 語れることを書いていきたいと思います。 私が読書にはまったのは小学5年生でした。 夏休みの宿題の読書感想文の本が見つからないと親に相談したら、 公立の図書館に連れていかれ、 そこで読んだ本に惹かれたところからが読書ライフのスタートです。 小学生時代は毎週末通っていましたが、 中学に入り、部活が始まると段々と行かなくなり、しばらくは本を読む機会はなくなりました。 そして大学、キャリア関連の先生から聞いた言葉で図書館通いの復活です。 「凄く優秀な学生がいる。いろんな物事をつなげて考えることが出来て、想像力がすごい。 その子は本を読んで妄想するのが好きだ」 要約するとこんな言葉だったと記憶しています。 いまなら時間もあるし、昔図書館毎週通ってたしで読書趣味の再開です。 多いかどうかは置いといて、月10冊以上読むような日々を過ごしていました。 先生が言っていた想像力が養えたかはわかりませんが、 いろんな考え方や価値観を知ることが出来たと自分の中では思っています。 それがあったからか、本を読んでいるから そういった発言できるようになったんじゃないと言われることもありました。 そんな中なので、読んだ方がいいかと言われれば、 私は良かったよと答えますし、冒頭書いたことを思うだけというところです。 私みたに、と思う人がいるかは別として、

東京医科大のニュースを見て高校時代を思い出した話

東京医科大の女子受験生を一律減点にしたニュースが話題になっていますね。 そんな中こんな意見が医師の方々からも上がっています。 東京医大の女子受験生減点に言及「当たり前、全部がそう」 現役の医者が語る「医療の現場が男性医師を渇望する理由」 この辺りを読んでふと思い出したのが、 「そういえば高校の時、自分が似たような状況になってたな」ということでした。 今から10年以上も遡ってしまう高校時代。 私の学年の男女比は3:7~4:6くらいだったと記憶しています。 正確な数字はさすがに覚えていませんが、先生から教えていただいたので、 おおまかには間違っていないはずです。 その教えてくれた先生が言うには、 「点数順だけで見れば、男女比は2:8~1:9くらいになってもおかしくなかった。でも公立の学校だと男女比の制限があるので、今の比率になっている」 とのこと。 わかりづらいかもしれませんが、どういうことかというと、 男性4人と女性4人が受験して、 男性の点数はそれぞれ、60点、50点、40点、30点、 女性の点数はそれぞれ、90点、80点、70点、60点とします。 合格者を合計4人、合格者の男女比を1:1とする場合、 70点の女性の人は、男性のトップの人より点数高くても、 合格とはならないということになってしまいます。 そんな状況を目の当たりにしたということです。 リンク先のニュースにも書いてありますが、女性の方が優秀だという現実がそこにはありました。 今回の大学ではどういう採点を行っていたかはわかりませんが、 状況だけで見ればほとんど一緒と言ってもいいと思います。 医者の方々が語るように、担える役割が違うとかもあるでしょうし、 特に内科や外科の診療科目については男女の医師で大きく差が出るらしく、 これを万遍にとなると、ある程度比率を揃える必要もあるのかもしれません。 今回のこれがどういう流れになっていくのかはわかりませんが、 優秀で意欲のある方々にスポットライトが当たるといいなと思います。 << 前記事 盆踊りとマスコット  |  TOP  |  次記事 本を読むことって本当に必要なのだろうか? >>

盆踊りとマスコット

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休日、家から離れ散策していると、近くの小学校で盆踊りをやっているとの看板があったので、 興味本位で見てみることにしました。 出店の食事を堪能しつつ、中心で踊っている人たちを眺めながら、 いろいろと見て回っていました。 そんな中興味深かったのが、学校法人こと佼成学園のマスコットキャラクターが来ていたことでしょうか。 こんな感じの着ぐるみが(大人ペンギンだけですが)来ていました。 子どもたちが群がっていてすごい人気でした。 学校でもマスコットキャラクターが作られるようになったんだなと思ってみていましたが、 ご当地のゆるキャラがたくさんつくられ、 バーチャルYoutuberが企業の広告塔にもなる時代なので、 なんら不思議はないのでしょう。 調べてみると、学校の中でも特に専門学校では多く作られているみたいです。 作るの自体はいいと思うのですが、ぱっと見何を表しているか、 わかりづらいのも多々あるように感じます。 けれども、少子化が叫ばれる中、子どもや親御さんにとって、 魅力的で親しみやすいという印象を与えるという点では、 間違いではない取り組みだとも思います。 何が言いたいかと言うと、 コウセイペンギン可愛かったです😃 << 前記事 興味がないところに目を向ける  |  TOP  | 次記事 Coming soon... >>

興味がないところに目を向ける

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以下の記事を読んだ所感を書いていこうと思います。 親から子への就活アドバイスは「根本的に」的外れである 記事の中にこんな文章があります。 **** 「もし21歳の子どもがいたとして、その子に1つだけ就職のアドバイスを送るとしたら、なんと言いますか?」 (中略)つまり「自分の子どもに伝えたい、キャリアの本質」について。あなたならなんと答えるでしょうか? **** 私は子どもがいるわけではなく、今意見を述べても外野の意見になってしまうので、 自分が就活生だったときの話を書いていこうと思います。 私が親から言われたアドバイスというか、親からよく聞いたのは、 「最近の流行りはわからないから、判断は自分で。相談にはのるけど」でした。 家では小さいころからそんな感じで育っていたので、 いざ就活が始まってから、それを言われても違和感なかったのですが、 改めて考えると親すごかったなと思います。 すごかったなと思う点が、 1.時代の変化を認めている 2.相談にのる=一緒にどうすればいいかを考えてくれる 3.最後の決断は自己責任のもと行うことができる こんな感じだったので、親には簡単な報告だけして、 ほとんど相談とかもしませんでした。 父親に至っては、東京に行くことも事後報告でしたので、かなり驚かれました。 反対もせず背中を押してくれたのには感謝です。 親も言いたいことがあったと思います。 私は高校生の時の就職活動は失敗してますし、そのあと進路も決まってないのに、 九州に2週間以上も滞在しようとして、進路どうするんだと、親と会議。 「前から友達と約束してたから」を押し通して、本当に九州に行きましたけど、 根拠なく何とかなると思ってました。 そんな過去があった中の就職活動なので、口出しもいろいろしたかったんじゃないかなと。 でも振り返ってみると、節目節目では決めたことを尊重してくれていました。 高卒で就職しようとしたときも、親から 「私は反対で理由はこうだ、その上で意見を聞かせてほしい」とは言われていました。 この時も自分の意見を押し通し、結果失敗するわけですが...。 いうこと聞かない子どもですね...。 さて、そんな経験をしてきた私ですが、 就職活動のアドバイスを今学生の方にするなら「楽しく後悔せず」

夏休みの家族連れ

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前の日曜日に電車を乗り継ぎ、荻窪に出没しました。 本屋→バッティングセンター→カラオケ→かき氷が美味しいというラーメン屋、 と足を運びました。 カラオケとラーメン屋に関しては、入るのは断念したので、 本当に足運んだだけですね。 (ちなみにラーメン屋はコチラ: ねいろ屋 ) カラオケもラーメン屋も行列で待ち時間が多かったので、断念です。 バッティングセンターでは、前より空振りが少なくなって、 15球中5球だったのが、2球まで減りました。 もれなく次の日筋肉痛でしたが...。 バッティングセンターでは、お子さん連れの親御さんが多かったです。 休みということもあってか、どこの打席も埋まっていました。 そんな中小学校高学年くらいの子が何人かいて、 豪快に打っているのを見ていると、こちらまでテンション上がってきます。 見てるだけで楽しかったです。 順番待ちに並ぶの忘れて見入ってました。 実際にお子さんを見ている親御さんの気持ちは私にはわかりませんが、 頑張る力をもらった、、、ような気がするので、 8月も頑張っていきたいと思います。 << 前記事 資質のカテゴリ  |  TOP  |  次記事 興味がないところに目を向ける >>

資質のカテゴリ

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FacebookでもStrengthsFinderのお話時々していましたが、今回はその関連の話をします。 StrengthsFinderは34の資質の中からあなたの特徴はこれですよ、と教えてくれるわけですが、 その34資質は4つのカテゴリにわかれています。 「実行力」「影響力」「人間関係構築力」「戦略的思考」です。 私の上位5つの資質をこのカテゴリに当てはめると、 人間関係構築力に3つ、(調和性・適応性・親密性) 影響力と戦略的思考に1つずつ、(最上志向/内省) 実行力は0、という結果です。 実行力が皆無...。 ホントに周りの方々にはいつも助けられています。 なかなか腰を上げない私を助けてくださってありがとうございます。 私自身周りの方々を助けていけるように、 資質も生かしながら頑張っていきたいと思います。 << 前記事 虫の「声」  |  TOP  |  次記事 夏休みの家族連れ >>