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7月, 2018の投稿を表示しています

虫の「声」

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かなり前のニュースになるのですが、 虫の鳴き声を「声」と認識するのは、日本人ともう一つの人種だけという ニュースを見ました。 どういうことかと言うと、日本では夏になるとセミが鳴きますよね。 うるさいと感じる人も多くいるかと思います。 このうるさいと感じるのも日本人の特徴で、 海外の方だとうるさいと感じることはないということらしいです。 それは日本人が虫が発する音を「声」として認識しているから、 無視できない、したがってうるさく感じてしまう。 公園を通るとセミの鳴き声が聞こえてきたので、ふと思い出しました。 で、調べてみると原文が見つかりました。 (出典: 虫の鳴き声を「声」と認識する 日本人とポリネシア人だけだった ) 読んでみると人種というより、母国語としての日本語の特性みたいです。 日本人でも日本語以外が母国語だと、認識が変わるようですね。 記事の結論として、だからこそ日本人が出来ることだったり、 多様性への貢献だったりと書かれていると私は解釈していますが、 個人的にはそれほど難しく考えなくてもいいのではと思います。 和歌や俳句にも虫の声や自然の音を題材にしたものが、多くありますが、 虫の声や川のせせらぎの音から何かを感じ、時によっては癒されるというのは、 日本語の特権だと私は思います。 まずはその癒しを存分に堪能して、 そのあとに何か見えるものがあればいいと思っています。 まずはこの特権を享受することに集中していけばと考えているのですが、 皆様はいかがでしょうか? << 前記事 休日散策  |  TOP  |  次記事 資質のカテゴリ >>

休日散策

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ある方々の勧めで、週末は巣鴨散策をしました。 その時の様子がコチラ。 28日土曜日の午後3時過ぎの写真です。 お気づきの方もいると思いますが、台風接近中です。 雨風がすごいです。 自分でも何でこのタイミングで行ったのか不明です。 そんな中傘も差さず、写真を撮っている海外の方もいましたが。 駅前の商店街はかなりの割合でシャッターが閉まっていて、張り紙には、 「台風接近中のため、本日の営業は午後3時までとさせていただきます」と いたるところに書いてありました。 そりゃそうです。安全を考えればその方がいいに決まってます。 まあせっかく来たので、目的なく軽く歩いた後に 教えていただいた店に足を運んでみました。 かき氷が美味しいとのことで、場所を調べて行ってみたのですが、 この台風が近づくなか、外まで行列ができていました。 (ちなみに店はコチラ: かき氷工房 雪華 ) さすがにこの中待つのは厳しいと判断し、来た道を戻りましたが、 途中で目をつけていた店も急遽片付けを始めていました。 仕方ないので、安全そうなところまで戻り、軽く食事をして家路につきました。 店を閉めているのは、店主の判断なのか従業員から申し出があったのか、 なんて想像してみると結構いろいろ考えることができます。 またそれとは対照的にそれでも開けている店は、 何か話があったのか、それともいつも通りただ開けているだけなのか。 普段の何気ないことからストーリーを想像するのも なかなか楽しいものです。 そんな休日でした。 << 前記事 災害レベルの暑さ  |  TOP  |  次記事 虫の「声」 >>

災害レベルの暑さ

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朝の通勤途中に、 「暑さが災害レベルのため、スイカ割りを中止にします」という 張り紙がありました。 その横でサッカー少年たちが、元気に走り回っていましたが。 東京では7/23に最高気温の記録更新で速報もでましたし、 かなりの暑さです。 ちなみに同じ日の7/23の最低気温は、 過去の7月の平均の最高気温と同じ気温です。 (7/23の実際の最低気温:29℃  7/23の過去平均の最高気温:29℃) 以前も少し書きましたが、私みたいに栄養足りないことがないように、 睡眠もしっかりとって、外出する際も対策しっかりして、 お体ご自愛いただければと思います。 << 前記事 応援を形に  |  TOP  | 次記事 Coming soon...>>

応援を形に

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とあるサイトで、こんなやり取りがあった。 Aさん「ネットで無料で公開されている物語を購入しました」 Bさん「なんで無料で公開されているのに、わざわざ買うのですか?」 Aさん「お答えします。応援したいからです」 というやり取りを、もっと言葉きつくした感じでやっていました。 そうだよなあ、自分の応援したいものにはお金かけていきたいよなと。 この一年間で音楽CDを60枚ほど買いました。 少し前に漫画村で海賊版が有名になりましたが、 この時代、聞きたい曲をネットで調べれば、 聞けないものはないのではと思う時代になりました。 購入した曲も、ネットで調べれば、公式非公式あれど、 聞けないものはほとんどないというのが実感です。 そんな中でもお金を使う意味って何か? 応援だけでなく、他に理由もあるでしょうが、 人がお金を使うというのは、心を動かす必要があると感じるところです。 3年ほど前にプライベートで参加した講演で、 「応援したい業界や業種にはお金落とした方がいいよ」と言われてから、 お金の使い道を変えてきましたし、変えている最中です。 応援も声だけでなく、行動で示せるようになっていきたいところです。 << 前記事 ロボット工学三原則  |  TOP  |  次記事 災害レベルの暑さ >>

ロボット工学三原則

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人工知能の発展が叫ばれる昨今、 心を持ったロボットが生まれる日も近いのかもしれません。 そういった類の話を聞くと、「 ロボット工学三原則 」(以下、三原則)を思い出します。 この三原則というのは、ロボットが従うべきとされた原則で、簡単に言うと、 1.人を傷つけたり、危険にさらされているのを放置したらダメだよ 2.人の命令には従ってね、でも1番が優先だよ 3.自分を守ってね、でも1番2番が優先だよ といった感じです。 (詳しくは、リンク先「 ロボット工学三原則 」を参照) 時々ロボットの反乱をモチーフにした物語などもありますが、 上の三原則に従えば、基本的にそういうのは「ない」ということになるのでしょう。 (ターミネーター2好きなので、そういう作品は今後もあってほしいと個人的には思いますが) どのように今後AI・人工知能が発展していくか興味は尽きませんが、 こういったことを知っていると、別の視点で進化を見ることができるかもしれません。 << 前記事 栄養大事に  |  TOP  |  次記事 応援を形に >>

栄養大事に

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最近東京で近年類を見ない暑さが続いています。 ぜひ体調にはご自愛いただければと思います。 私自身は熱中症で病院のお世話になったことはないですが、 栄養分の不足、いわゆる栄養失調でお世話になったことがあります。 こうも暑いと食欲も落ちがちになりますが、 それだと私みたいになりかねませんので、 こういうときだからこそ、意識して体に栄養を入れてほしいと思います。 << 前記事 自己肯定感と幸せ  |  TOP  |  次記事 ロボット工学三原則 >>

自己肯定感と幸せ

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自己肯定感が低いと、褒められても、それを素直に受け入れることができない。 を読んで、ふとある知人を思い出した。    自分のことが嫌いな人 その知人は自己肯定感が低く、自分のことが嫌いである。 そうなったきっかけを簡単に言えば、 周囲の期待に過度にプレッシャーを感じてしまったことだと考える。 周囲の期待を10に設定し、成果は7、でも実際は期待も5くらいなので、 本当は問題ないどころか期待を超えているのだが、 本人には納得がいかないというところなのだろう。 自分に厳しいと言えば、聞こえがいいかもしれないが、 実際は自分を下に見ることで、自分を守っているように見える。 出来ないことを前提としていれば、本当に出来なかったときにダメージが少ないからだ。 そんな経緯で自分に対する自信は全くないと言っていいと思う。 記事にもあるが、この人は褒められても褒められていると認識しない。 自分が褒められるに値すると思っていないので、受け取れない。 成功体験を積ませればいいのかというとそれも難しい。 成功ハードルを勝手に上げていくので、周りが成功と思っても、 本人が思わないので、効果がないのである。    自己肯定感が低くても幸せに 自己肯定感とネットで調べると、 自己肯定感を高める方法と多く出てくるあたり、 低いのはダメというのが一般的なのだろうと思う。 でもこの知人を見ているとそうでもないのではと感じる。 自分が嫌いなこの人はすごく幸せそうにいつも話をする。 曰く、素晴らしい人たちに囲まれているのが自分にはもったいないくらいだとのこと。 自己肯定感が高かろうが低かろうが、幸せになれるはず。 知人が恵まれた環境にいることや、偶然そうなっただけであることには違いない。 でも低いから高くしようではなく、低いならどう幸せになれるか、 自己肯定感を高くしたほうがいいのか、そのままで幸せを模索したほうがいいのか、 それくらいの選択肢はあってもいいと、私は思います。 << 前記事 頭のいいナマケモノになれ  |  TOP  |  次記事 栄養大事に >>

頭のいいナマケモノになれ

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タイトルの言葉は私が新卒の就職活動をしていたときに、 あるシステム開発会社の採用担当の方から言われた言葉です。 「頭のいいナマケモノ、私たちはそういう人を求めています」と。 この言葉の意味は皆さんに考えてほしいので答えは言いません、と言われたため、 その会社がどのような意味で定義していたのか、今となってはわかりません。 ただこの言葉は妙に印象に残っていて、今でも時々考えます。 学生当時は、「システムは同じ作業を省力化し時間削減するものだから、1時間で出来ていたのを30分で出来るようにして、空いた時間は楽に仕事していくのかな」とくらいに思っていました。 でも当時から違和感があったことも事実でしたが、自分の中でこれだ!という答えもないままでした。 そして最近その答えと言ってもいいのではないかと思ったのを目にしました。 ホリエモンこと堀江氏の書籍に、このように書いてあります。 **** 「手抜き」には2種類ある。 一つは、「手を抜いて、頭も使わない」タイプ。これは単なる怠けである。 仕事でこの手抜きをすれば、何の成果も出せない。 もう一つは、「他のもっと有益なことに手や頭を使うため」にショートカットするタイプだ。 たとえば、膨大なデータの精査やリスト化をコンピュータに任せ、自分はその結果を分析することに注力する。 これは、怠けとは根本的に違う。 浮いた時間は、自分の本当にやりたいことに使えるのだから。 自分をさらに成長させるための積極的な「手抜き」だと言える。 **** このショートカットするタイプのことではないかと。 大事なのは、システムを使う人が成果に注力できるかを考えることではないかと。 だから「頭のいい」+「ナマケモノ」なのではないかと。 上に書いた省力化や時間削減はそれ自体が目的ではなく、 その状況になった時に改めて何をするかを問うのが重要なんだと思います。 曲解かもしれませんが、そんな風に考えています。 << 前記事 季節の売り物  |  TOP  |  次記事 自己肯定感と幸せ>>

季節の売り物

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熱中症に気をつけないといけない季節になり、水が売れる時期になりました。 学生時代、通販のミネラルウォーターの梱包・出荷のバイトをしていた時、 7月8月の出荷量はすごくて、残業と人員の臨時追加で乗り切っていました。 9月後半になってくるとかなり暇になり、 定時まで作業するまでもなく、当日出荷分を捌けるようになり、 夏が終わったなと感じたのはいい思い出です。 同じ作業場にあるスーパーのピッキング(倉庫から商品を取り出す作業)も担当したときも、 時期によって商品の出荷数の増減があって、 今はこういうのが売れるというのが体験できたのは、 いい経験だったかもと今では思います。 もっと前のめりにやっておけばよかった...。 バイトからでも市場のニーズを間近で見れる機会があれば、 少し深く考えてみるのも面白いと思った話でした。 エアコンが全くない中、十数リットルの水を倉庫の中、右へ左へ運ぶのを もう一度やれるかはわかりませんが...。 << 前記事 「作った方が良い」をどう扱うか  |  TOP  |  次記事 頭のいいナマケモノになれ >>

「作った方が良い」をどう扱うか

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システム開発関連のサイトを旅しているとこんな記事を見つけました。 システムでは「作った方が良い機能」は作らない方が良い理由 システムを作る際の機能の分類の一つとして、 「必要」「不要」「あったら便利」な機能があります。 必要は作る、不要は作らない、あれば便利は作るか否か、 それぞれ意見はあると思います。 私としては記事に書かれている通り、 一度保留にしておいて、運用後やっぱり必要なら作る、 PDCAを回し、小さく生んで大きく育てるというのを推したいところです。 システムだけでなく商品などのモノもある程度同じことが言えるでしょうし、 普段の業務でも要不要のものから、 やった方がいい、やった方がマシといったものもあるはずです。 パレートの法則 (成果の8割の2割の活動で生み出される)ではないですけど、 必要なもの(やっていること)、 不要なもの(やらないと決めたこと)、 あったら便利(やった方がいいからやっていること)のどれが成果につながるか、 考え行動する必要があると思う最近です。 << 前記事 事実データの影響力  |  TOP  |  次記事 季節の売り物 >>

事実データの影響力

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顔を見て話をしたことがある人からの評価をもらう場合と、 ネットでしか知らない人からの評価をもらう場合、 どっちが影響力があるかを最近考えることがあります。    どちらに影響力があるのだろう? このブログで新規に記事を作った後、Facebookで更新をお知らせします。 そうするとFacebookのいいね数とブログの閲覧数といった事実データがわかります。 Facebookが会って話をしたことがある人だけがFacebookの友達ならば、 会ったことがある人からのデータと言えるかと思います。 反対に、SNSを匿名などで行ってそこで発信している場合、 一度も会ったことのない人から閲覧数などで評価されていると言ってもいいかと思います。 ここから本題です。 発信のペースを同じだと仮定して、 会ったことがある人からの評価=いいね数が1回あたり5~10、 会ったことがない人からの評価=いいね数が1回あたり50~100という 事実があった場合、どちらの方が心が動くでしょうか? どちらの方が価値があるかに関しては、私には答えを持っていませんし、 心が動くのも人によってそれぞれあると思います。    数の力はでかい 個人的な経験と感覚から言うと、顔を合わせた人からの評価の方が、 重要視すべきと思いつつ、数の影響力は無視するのが難しいと感じています。 実際の数の多さを見るとそちらの方が注力したくなってくるというのが実感です。 数が全てというつもりはもちろんありませんが、 影響は無視できないと思うこの頃です。 << 前記事 アウトプットを続けていくと自分が薄くなったように感じた  |  TOP  |  次記事 「作った方が良い」をどう扱うか >>

アウトプットを続けていくと自分が薄くなったように感じた

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アウトプットをひたすら行うのがただ苦痛だったときの話を書いていこうと思います。       だただひたすらアウトプットをしていたとき ブログを始める前、ブログと同じもしくはそれを上回る分量の記事を、 ひと月の間、切れ目なく吐き出していたときがあります。 自分の中で決めたテーマがあって、それについて延々と書いていく感じでした。 その時決めたテーマがなんというか、かなり範囲を限定してしまって、 「システム開発→プログラム→言語→Python(プログラム言語の一つ)、よしPythonというテーマでずっと書こう」みたいなテーマ決めの仕方でした。 1か月30日、この単独のテーマで書いていくと後半書くことがなくなってきて、 絞りだすような感じになります。 最初は何も悩みなんてありません。 悩みがないどころか、書きたいことがたくさんあるので、楽しくなります。 絞り出す作業(あえて作業と書きます)も、最初の内はもっといいものが書けるかも、みたいなテンションでした。 そしてそこを超えると苦行が始まりました。 出せるもの出し切った後にさらに出せと言われているようでしたし、 (実際は勝手に一人でやっていただけですが) ここまで毎日続けてきたし、というある種板挟みになっていました。 無理やり出しているから文章の中身が薄く見え、 それを見てへこむみたいな循環を繰り返していました。      どこかでインプットが必要だ この経験から痛感したのは、アウトプットを続けるには、 それ以上のインプットが必要という当たり前のことでした。 当時のひと月はそのテーマに関するインプットをあまり出来ておらず、 ただ書いては公開する、ということをしていました。 その結果、書くことを薄く伸ばして、出していくしかない状況になっていました。 目的を持ってインプットすることもあれば、 漠然と取り組んでいたことが、他のアウトプットに生かせることもありますが、 何にせよアウトプットを続けたいなら、インプットが必要と感じた出来事でした。 << 前記事 1万時間の法則から20時間の法則へ  |  TOP  |  次記事 事実データの影響力 >>

1万時間の法則から20時間の法則へ

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1万時間の法則、ご存知の方も多いと思います。 話す人によって細かいところは違えどおおまかには、 「トップレベルになるには1万時間必要」と言うところかと思います。 それに関連する中で以下の記事を読みました。 「一人前になるには1万時間必要」は誤りだった! たった20時間で新たなスキルを身につけられる4つのコツ 1万時間というのは、1日3時間だと年間1,095時間、約10年かかることになります。 1日8時間だと年間2,920時間、約3年かかる計算です。 こう見ると結構時間がかかることがわかります。 それだけ人生を費やすかどうか、そもそもこの法則が正しいかどうかに関しては、 ご覧いただいている皆さんの判断にお任せするとして、 20時間について思うところがあったので書いていこうと思います。    20時間もハードル高いのでは...。 まあまあいいレベルまでなら20時間で到達できるとのこと。 1万時間よりは簡単そうですが、個人的な経験上20時間も やりようによっては意外にハードル高いんじゃないかなと思います。 リンク先にいろいろ続けるためのコツが書いていますが、 個人的には、20時間くらいまでは、 毎日目標達成して、そのあとに書かれているコツを実践するほうがいい気がしています。 1日5秒練習するみたいな目標でもいいので、 毎日継続して、毎日目標達成していけば、 20時間経過するころには、それなりになっています。 そのころには毎日継続することが苦でなくなってきているはずです。    20時間もハードル高いのでは...。 記事にも書いてありますが、何か始めたらまずは20時間やってみてから判断してみてもいいと思います。 向いている向いていないは絶対あるので、そこにこだわる必要はないですが、 判断するのに早すぎて勿体ないということがないようにという意味では、 一つの判断軸かと思います。 さて、新しいことを20時間始めてみるとしましょう! << 前記事 システムの意図  |  TOP  |  次記事 アウトプットを続けていくと自分が薄くなったように感じた >>

システムの意図

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私はコンピューターのシステムの開発の仕事に従事していますが、 システムを作るということは、背景や意図があるということを忘れてはいけないなと思っています。    学生の方々との交流 先日システムエンジニアを希望される学生のグループワークを見学する機会をいただきました。 システムの作成を依頼されたという想定の中で、 想定されているシステムの機能やそれぞれの部門の使用できる範囲などが、 バラバラに書かれた紙が配られる。 それらを組み合わせてディスカッションし、どんなシステムか発表してください、 という内容でした。 3~4人のグループでしたが、皆さん上手くコミュニケーションをとって進めていました。 積極的にディスカッションに参加するのもさることながら、 役割分担を素早く決めて、どんどん先に進めていくのが印象的でした。 発表も堂々として素晴らしく、いろいろと勉強させていただきました。 学生の発表後に企業の方からフィードバックをしてくださいという話になり、 私や他の企業の方から簡単に話をする運びとなりました。 皆さん素晴らしかったです、という話をさせていただいた後に、 冒頭書いたような話をしました。    モノを作る仕事を目指す方へ 「今回は機能が決まっていて、そこからどんなシステムかを想定するというようなワークでしたが、 もし作る立場になったら、考えてほしいのが、システムを注文してきた意図があります。 その意図を汲み取ることが一番大事になってきますので、意識してください。」 というような話を、もう少しかみ砕いて話をさせていただきました。 システムの目的というのはかなり重要です。 お客様から言われた機能を作るより、こちらが考えた機能の方が目的を果たせる場合があるからです。 だからこそ目的を正しく理解し、ときには作る側から提案することが必要になってきます。 この辺りのことは他の方も書かれているのでこの辺りで。 自分を律する意味も込めて書いてみました。 余談ですが、私の後に他の企業の方が学生に、 「先ほどシステムの意図が大事だという話がありましたが、ものすごく大事です。」と お話されたときは、間違っていなかったと思って嬉しかったです。 << 前記事 見えないところを真似する

見えないところを真似する

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何かを学習する際に誰かをお手本にし、真似をすることは一つの手段となるというのは周知のことだと思います。 学ぶと真似るの語源が一緒と言われることもあります。 さてそんな真似をするということに関して、 「お手本人物の「やっていること」だけを真似しても駄目」というのを最近聞いたので、 考察してみることにします。    真似をするときに見えないこと さっきの聞いた言葉は続きがあって、 「お手本人物の「やっていること」だけを真似しても駄目で、「やっていないこと」も真似しなければコピーが成立しない」 というお言葉でした。 その方はさらっとこの部分に触れていたのですが、 私にはすごく重要なことのように感じました。 真似をするって、やっていること=外から見てはっきりわかることにフォーカスすること自体難しくはなくて、 ただその通り実行するのが難しいというのが、私の印象です。 しかしやっていないこと=外から見て見えづらいことは、そもそもフォーカスすること自体が難しく、実行するという発想すら出ないというのが、私の印象です。 本来はこの「やっていること」と「やっていないこと」の両方を実行することで、 初めて真似たと言えるはずですが、片手落ちになりがちなのではないかと、 自分の行動を省みても感じる次第です。    意識すべきはやっていないこと 決断とはやらないことを決めることとも言われますが、 意識してやらないことはものすごく大事な気がします。 だからこそお手本にする人、憧れている人を真似するときは、 外から見えない以上、その本人に確認し、やっていないことを含めて意識していくようにしていく必要があるのではと思いました。 << 前記事 メッセージをちゃんと返信したい  |  TOP  |  次記事 システムの意図 >>

メッセージをちゃんと返信したい

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SNSをやっているといろいろとメッセージをいただきます。 本当にありがたいことです。 最近英語でもメッセージをいただくことがあって、嬉しく思いながら読んでいます。      ただ最近ちょっと困ったことが...。 返事をするときにすごく悩みます。 いたずらっぽいメッセージなら、放置するだけで終わりますが、 きちんとしたメッセージがくれば、「メッセージくれてありがとう」くらいは言いたい。 向こうも日本人と気づいてくれているからだろうと思いますが、 簡単な英語で書いてくれているので、意味は何となくわかります。 Google先生に頼って確認もして、さあいよいよ返事を書くぞ、となったときにすごく悩みます。 翻訳サイトを使って、それなりに文章の体裁を整え、見直す段階にきて、 ニュアンスが上手く伝わってくれるかな、とか、 意図しない意味で伝わっていないかな、とか、うだうだ悩むわけです。      結局は自分次第 きちんと返事したければ、学ぶしかありません。 結局は自分がどうしたいか、返事したいのかそうでないのか、それにつきる気がします。 こういうのにも慣れていかなければと思う、今日この頃です。 << 前記事 変化のラグ  |  TOP  |  次記事 見えないところを真似する >>

変化のラグ

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今週初めこんな記事を書きました。 「変化に慣れる」 それに関連してまた変化について書いてみたいと思います。 今日は変化の認識のラグについて。 ラグとは本来はコンピュータに命令してから結果が反映されるまでの遅延時間のことですが、 ここでは自分が変化をしたと思ってから周囲にそれを認識されるまでのズレの時間と定義して話をします。 以前「変わったよね」とありがたい声をかけていただいたにも関わらず、 頭に「?」が浮かんだ出来事がありました。 「何か最近変えたことあったけ?」という感じです。 もちろん無意識のうちにいい方向に変わっている可能性も否定できませんが、 話を聞いてみてもそうではなさそうだなと思いました。 このズレは何だろうと考えてみて、冒頭書いたようにラグ、 つまり自分が変化をしたと思ってから周囲にそれを認識されるまでに時間のズレがあったんだなと考えました。 例えばですが、自分の中では昨年新しい試みをたくさんして、行動も起こしていたけど、 周囲にその行動が認識されるようになったのが今年という感じ。 新しい試みが10個あれば、全て成果が出るわけではないので、 そのうちの一つが今年目に見える形になったからということなのかもしれません。 このことから私が思うには、変化は一朝一夕で起こせないものがあるということと、 他の人に変化を起こしてほしいと考えるなら、その人と自分の認識がズレてないか 考えておく必要があるということです。 大きな船は舵を切ってから針路が実際に変わるまでに時間がかかると言います。 大きな目標を持っていると、舵を切るという変化を起こしてから、周りが見てもわかるほどの変化が認識できるようになるまで時間がかかるということです。 地面に種を植えたら芽が出るまで、土の上からは状況がわからないけど、 土の下ではきちんと成長していて、最後には花まで咲かせるわけです。 自分は変化してるのに周りが気づいてない状況にあるなら、 大きな目標に向かっている証なのかもしれません。 (変化の方向性が間違ってないかの検証は必要ですが) もちろん変化は最後は成果に結びつける必要はありますが、 周りが気づいていなくたって変化は変化、 自分だけはそれを認めてあげるのもいいのではないでしょうか。 <

量か?質か?それとも数か?

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「量が大事か?質が大事か?」というのはよく聞く話で 皆様それぞれの意見があると思います。 ただ私見としては、この2つで話すのは何かが足りない気がしていて、 昨年から個人的な見解として、数と量と質で考えるべきなのではと思っています。 私が思うそれぞれの定義は、以下の通り。 数:頻度 量:1回当たりのボリューム 質:中身の点数 このブログを例にすると、 数:記事の更新頻度(=記事の総数) 量:1記事当たりの文章量 質:記事の評価(定量的なもので見るなら閲覧数など) という感じです。 そして私の結論を書いてしまうと、この中では「数」が重要なのではというのが最近の考えです。 1記事の分量は1,000文字くらいだけど毎日更新するか、 1週間に1回7,000文字の記事を1つ書くか、 そのどちらが大事かというのが、数が大事か量が大事かということです。 毎日更新が大事ならば数、1回に大きな記事を更新が大事なら量だというのが私の解釈です。 どちらが正しいという正解はありませんし、場面によって変わるのかもしれませんが、 私は数を重視していきたいと思っています。 そしてその次に量をやっていけば、最後に質がついてくると思っています。 「よくある量と質の量の中に、上で言う数って入っているのでは?」 という反論、というか文句を自分に問いかけたりもしたのですが、 明確に分けた方が今取り組むべきことが明確になっていいんじゃないかなと思います。 他に同じように考えている方いらっしゃるのかなあ...。 今回は「数×量×質」で最高の成果を出せるのではという私の仮説の話でした。 完全な私の持論なので正しいかは今後の自分の成果で測っていきます。 << 前記事 欲求と環境  |  TOP  |  次記事 変化のラグ >>

欲求と環境

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所属の欲求や承認の欲求を測定する欲求サーベイの話を書いてみようと思います。 まずは自分の診断結果について。 欲求度は「貢献」「学習・成長」が一番高く「好奇心」が一番低い、 注力度(エネルギーを費やしている度合い)は「貢献」が一番高く「所属」が一番低い、 現実度(欲求が満たされている度合い)は「貢献」が一番高く「ユーモア」が一番低い。 高いところは貢献ばっかりですね...。 あまり意識したことはありませんが。 今日改めて結果を見てありがたいなと思ったのが、 欲求に対して現実度の方が高い項目が15項目中12項目あること、 つまり欲求が満たされている割合が高いことです。 項目の中に「愛」や「所属」の欲求というのがありますが、 これらの項目は周りの方々がいらっしゃらなければ、満たせないものです。 「貢献」も然りです。 「自分らしさ」も満たしていてありがたい限りです。 こんな環境があることが当たり前だとは思いません。 感謝の気持ちを忘れず、自分らしさも発揮しながら、 これからも頑張っていきたいと思います。 今日のところはそんな感じです。 << 前記事 変化に慣れる  |  TOP  |  次記事 量か?質か?それとも数か? >>

変化に慣れる

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変化は人間誰しも抵抗があると私は思います。 私自身が苦手というのもありますが。 その中で今年読んだ本の中で変化に慣れる方法について 頭に残っているので今回はそれについて書いていこうと思います。 一言でいうと、 「大きな変化に対応できるようになるには、小さな変化を日常的に起こしておくこと」 と書いていました。 ここでいう小さな変化とは、 通勤路を毎日少し変えるとかその程度でいいそうです。 日常的にそういう変化を起こしていると変化に体が慣れていき、 いざというときの大きな変化にも対応できるとのことです。 ただここからは私の解釈ですが、 ”意図的”に小さな変化を起こすことが大事だと思っています。 お客様に訪問するご職業の方だと、 新しいところに訪問するので、毎日違うルートで仕事に向かうわけですが、 ただ最短のルートを選ぶことが変化を起こしたと言えるかどうかです。 最短が悪いわけではもちろんなく、変化を起こしたルート意図的に選ぶことが 重要なのではないかと私は解釈しています。 変化も様々あると思います。 小さな変化から大きな変化という大小もあれば、 自ら起こした変化や周りに急かされてした変化、 自ら起こしていなくても変化の波を見極め上手に乗る変化という変化の種類もあって、 その時々の状況に応じていろんな変化の形があると思います。 この世の中変化は避けられないわけですが、 変化が大事だと声高に叫んでも行動が変わらなければ意味がなく、 ただ言っているだけの人になってしまいます。 今朝に先輩がおっしゃていた経営コンサルタントの大前研一さんの変化に関する言葉は私も心に留めている言葉なのですが、 人間が変わる方法は3つしかない。 ・1つは時間配分を変える。 ・2番目は住む場所を変える。 ・3番目は付き合う人を変える。 この3つの要素でしか人間は変わらない。 もっとも無意味なのは、『決意を新たにする』ことだ。 特に最後のもっとも無意味なことというのは肝に銘じる必要があると思います。 まずは日々小さなところから毎日変化を起こしていくところから、 行動を起こしていこうと思います。 << 前記事 6月投稿一覧  |  TOP  |  次記事 欲求と環境 >>

6月投稿一覧

6/01  ブログの目的 6/01  システム雑記/VPN 6/04  意思決定は誰がする? 6/05  失敗をやりきる 6/06  相談上手より相談され上手になる 6/07  人とAIは思考回路が違うからこそ 6/08  誰かに届けば価値になる 6/11  自己開示は難しい 6/12  ビジョンが大事だと思った体験 6/13  アンケートに思うこと 6/14  違う視点で見る 6/18  地震大丈夫でしょうか? 6/19  ボランティアから見る世界 6/20  不満の反対は満足にあらず 6/21  改修の調査≒医師の診察 6/22  ちょっとした試み 6/25  〇〇なき商業 6/26  再燃 6/27  300日 6/28  理念が必要な理由を再考してみた 6/29  毎日評価 6月の閲覧数:789(前月比:-113) 総閲覧数:1,691 6月もありがとうございました。 7月もよろしくお願いいたします。 << 前記事 毎日評価  |  TOP  |  次記事 変化に慣れる >>