見えない衝動こそが一番怖いのではないだろうか

※注意
今回の話は、人が亡くなるとか命がどうとかの話になるので、
気にされる方はご覧にならないことをおススメします。

以下のニュースを読みました。
夏休み明け、増える子の自殺 未遂の「その後」支える 福岡大病院の取り組み
自殺未遂者の追跡調査では、1年以内に約3%、5年以内に約9%、5年以上では約13%が再び自殺を図っていた。
ところが日本の多くの病院では未遂者へのケアは薄い。例えば、飛び降りて骨折すれば整形外科、睡眠薬などの過剰服薬は内科、手首に傷があれば外科などと症状によって振り分けられ、「自殺未遂者」という情報は抜け落ちてしまう。精神科が関わることなく退院し、再び自殺を図る悪循環から抜け出せないケースが多いという。
簡単に言えば精神科と各科の連携によって、再び自殺するのを防ぐという取り組みのようです。
 確かに目に見える傷が癒えたところで、自殺の原因そのものが解決していないわけですから、
そういったものを二人三脚で解決していこうとする取り組みは素晴らしいと思います。
人を支える・支援する取り組みは是非ともどんどん広がってほしいと思います。

一方でこれを読んだときに、違和感というか何か足りないという気がして、
その原因を考えていました。
そして気づいたのが、これは自殺未遂の支援ではあるけど、自殺”行動”未遂は支援できない、ということです。

ここで意味する自殺未遂は、行動を実際に起こした(飛び降りた、服用した)が存命である、自殺行動未遂は行動を実際に起こそうとしたが起こせなかったという意味です。

個人的な経験から思うのが、この自殺”行動”未遂にも支援の光が当たればと思うのです。
自殺未遂にしても自殺行動未遂にしても、その原因を解決しなければならないというのは、同じだと思います。
ただ不謹慎な話をすると、行動を起こしていれば、結果病院のお世話になり、自殺を考えていたんだなということが、明るみになります。
場合によっては周りの方が原因の解決に動いてくれるかもしれませんし、今回のニュースのような支援のお世話になることもあるでしょう。
でも行動を起こしていなければ、隠れたまま、状況が変わるには、その人が行動を起こすほかありません。

私は幸いにして骨を折ることもなく、今は心身共にそれなりに健康に過ごせていますが、
当時を振り返ればいろいろと思うところがあります。
状況が数年、場合によっては数十年単位で変わらないし、
そもそも解決したいのは今、数年我慢すればなんてのは、響くものではありません。

学生時代で環境を変えるというのは、かなりの制約条件がありますし、
そういった中で苦しんでいる人に手が差し伸べられたらと考える日々です。

もちろん未遂になるどころか、考えすら浮かばないような、そんな世の中がベストなことは言うまでもありません。
そんな世の中になることを願ってやみません。

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