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6月, 2018の投稿を表示しています

毎日評価

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明日で6月も終わり、2018年も半年が終わります。 今年に入ってからブログとかSNSとかでいろいろと発してますが、 さまざまリアクションをいただきます。 閲覧数が前より増えた減った、 いいね数がどうなった、 コメントをもらった、 直接声をかけてくださった etc... どれもこれも本当にありがたくて、 応援をいただけたから頑張れましたというのはこういうところなんだなと、 最近感じています。 本当にありがとうございます。 毎日自分の発しているものが評価されているみたいで、 負荷になっているところもありますが、 そういう場があること自体はものすごくありがたく思います。 匿名で一言、「なんか、勇気をもらえた。」 と、コメントいただいたのはすごく感動がありました。 他にも様々言葉いただいて、その度に感動です。 発した情報に価値があるかどうかは受け手がどうとらえるかです。 こういった行動において、私が心がけているのが、ある方が言っていた、 「治れば患者の努力、治らなければ医者のせい」 この場合はちょっと例えとして適切ではないのかもしれませんが、 受け手が少しでも何か感じてくだされば、それはその方の素晴らしさですし、 何も感じていただけなければ、それは私の力不足です。 そうやって日々評価を受けながら、試行錯誤を繰り返していきます。 そんなスタンスで続けていければと思いますので、 来月もお付き合いのほどよろしくお願いします。 << 前記事 理念が必要な理由を再考してみた  |  TOP  |  次記事 6月投稿一覧 >>

理念が必要な理由を再考してみた

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会社の理念(=経営理念)はなぜ必要なのでしょうか? 何をもって社会貢献するか表すため、 社員をまとめて方向付けするため、 なんのために会社が存在しているのか表明するため、 社員と一緒に何を実現したいのかを示すため、 色々な意見があると思います。 ただ今回は、別に答えを出したいとか必要性を訴えたいとかではありません。 経営理念がなぜ必要かの意見の中で、個人的に面白いものを見つけたので、 改めて考えてみようと思った次第です。 その意見とは、「経営者を縛る制約」のために必要だという意見です。 何をするか、そして何をしないかの範囲を決めるためのもの。 例を上げると、MAP経営の理念は 「中小企業の輝く未来を創造する」です。 サービスを提供する先が中小企業ということで、(中小企業が日本を支えているという前提のもと)企業規模の制約があります。 輝く未来を創造するということで、自ら未来を切り開いていく志向性を持った人に、 サービスを提供するという制約があります。 こうすると確かにしないことが決まってくる=することに制約がかかっていると言えると思います。 資源の集中と選択が大事だとはよく言われる話です。 その選択が正しいかを売上や利益で測ってみるのもいいかと思いますが、 理念に沿って正しいかを考えてみるのも一つかもしれません。 そのためにはもちろん理念を作成している必要がありますが。 個人の理念を考える際にも、自分はこれを達成していくんだという視点にプラスして、 やらないことを決めるという視点で考えてみるのも面白いかもしれません。 << 前記事 300日  |  TOP  |  次記事 毎日評価 >>

300日

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先々週会った父親に「太った?」と言われ、 先週会った知人に「ガタイよくなった?」と言われた森脇です。 家でトレーニングを始めて今日で300日となりました。 昨年の9/1から数えて300日ですね。 丸一年まで残り65日ですが、一歩ずつ積み重ねていければと思います。 気を引き締める意味も込めてブログに書いてみました。 今日のところは簡単ですがこのくらいで。 << 前記事 再燃  |  TOP  |  次記事 理念が必要な理由を再考してみた >>

再燃

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ネットでいろいろ他の方の意見を見ていた時に、 こんな文章を目にしました。 --------------------------------------------------------- 心理学の教授から聞いたのですが、 「小学五年生」「中学二年生」「高校二年生」の時に はまったジャンルというのは、 一度熱が冷めても再燃しやすいそうです --------------------------------------------------------- これを見て再燃とか関係ないところで思ったことがありまして、 この3つに私なりの共通点があるなと思いました。 小学五年生:公立図書館に初めて行って、通うように 中学二年生:大阪市立図書館で就業体験をする 高校二年生:大阪府立図書館で就業体験をする 図書館ばっかりでした...。 大学一年生でキャリアセンターの先生の言葉で 図書館通いを再開したりと、 学校ごとに図書館の想いでが...。 私は専門書やビジネス書は全然読まなかったので、 小説を片っ端から読んでいて、 大学時代に一度借りれる上限を超えて借りて、 必死に読んだのも今は思い出です。 私の話はあまり参考にはなりませんけど、 最初に書いたそれぞれの学年の視点から やりたいこと探ってみても面白いかもしれませんね。 << 前記事 〇〇なき商業  |  TOP  |  次記事 300日 >>

〇〇なき商業

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かの有名なガンジーが唱えたものの一つに「七つの社会的罪 (Seven Social Sins)」 があるそうです。 それが下の七つです。 「理念なき政治」(Politics without Principle) 「労働なき富」(Wealth Without Work) 「良心なき快楽」(Pleasure Without Conscience) 「人格なき学識」(Knowledge without Character) 「人間性なき科学」(Science without Humanity) 「献身なき信仰」(Worship without Sacrifice) そして、 「〇〇なき商業」です。 皆さんはこの〇〇に何が入ると思いますでしょうか? お考えいただけましたでしょうか? まだの方は一度考えてみてください。 問いかけられた時は、商業を経営と置き換えて考えることもできると言われました。 ちなみに私はこれを聞かれたとき、 「信念」「利益」が先に出た後に聞かれて、「育成」と答えました。 「育成なき商業」です。 この問いを投げかけた方いわく、 仕事をする上で自分が大事に思っているものが、 入っているのではないでしょうか?とのことでした。 「育成」を大事に思っているのか?と、今自問自答中です。 さて答えですが、 「道徳なき商業」(Commerce without Morality)です。 「道徳なき経済は罪悪であり 経済なき道徳は寝言である」という二宮尊徳の言葉とも通ずるところもあると思います。 道徳をしっかり守った行動を起こしていけるよう、今週も頑張っていきます。 << 前記事 ちょっとした試み  |  TOP  |  次記事 再燃 >>

ちょっとした試み

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いつもブログご覧いただいてありがとうございます。 今回このブログの試みとしてFacebookで更新を告知しないと 閲覧数がどれくらいになるかを試してみたいなと思いました。 というわけで先週いくつか記事を投稿しただけで、 一切告知しないというスタンスを取ってみました。 平日は毎日更新できているので、24時間くらい待ってみて どれくらいになるのか見てみたいなと思いまして。 ちなみにFacebookで告知した場合は、 閲覧数は20いかないくらいでしょうか。 まあそんなものでしょう。 さて結果は・・・。 平均閲覧数「2」 告知大事ですね...。 でも何も言わなくても見てくださる方がいたことは大変ありがたいですし、 言えば時間割いて見てくださる方がいるのも、これも大変ありがたいです。 いずれは何も宣伝しなくても、人がいらしてくださるようなコンテンツを提供できればと思いますが、 内容の充実と並行して、知っていただくための活動をより高いレベルでしていける行動を起こしていきます。 << 前記事 改修の調査≒医師の診察  |  TOP  |  次記事 〇〇なき商業 >>

改修の調査≒医師の診察

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今年の年初に「なぜシステム会社の見積りが「ボッタクリ」に見えるのかを、きちんと説明する。」という記事を読みました。 そして今日全く別の場面で、「システムのバグは原因調査に一番時間がかかる」というのを読みました。 そこで上記の記事を思い出しました。 今週一度もシステム関連の記事を書いていなかったので、 今日はこの辺りに触れてみようと思います。 ただ内容を丸写ししてもつまらないので、共通点ここかな、など、 私の意見など織り交ぜながら書いていこうと思います。 一つ目の記事の内容は、「テキストの左揃えを右揃えに変えるだけで300万請求された」 というのが発端のようです。 依頼側は高い!だし、受ける側は妥当!というすれ違いですね。 すれ違いの原因としては、 テスト・調査・規模のミスマッチと書かれています。 さて、ここで2番目の記事の話です。 システムは調査に一番時間がかかります。 記事の中に、こんな記述があります。 ----------------------------------------- 顧客「バグが出たので見てほしい」 弊社「費用かかります」 顧客「直すのはうちでやる」 弊社「では調査費用だけ請求します」 顧客「調査だけだしタダでやってよ」 原因の調査が一番時間かかるんだよ。 ----------------------------------------- これを医者の診察に例えると、 患者「調子が悪いので診てほしい」 弊社「費用かかります」 顧客「直すのはうちでやる」 弊社「では診察代だけ請求します」 顧客「診察だけだしタダでやってよ」 病気の原因がわかり、治療法もわかれば、することは決まっています。 治療に薬が必要なことがわかって、薬はこちらで用意するから 診察代がタダに、とはならないと思います。 診察も医者の技術力が必要です。 誤診だとシャレにはなりませんからね。 そのため難しい診断であればあるほど、時間も必要になり、 慎重になる必要があります。 システムも同じで、調査には時間も技術も必要です。 なぜこんな風に作られているのか、 言われたことに対応した場合、薬でいう副作用がないかなど、 調べる必要があります。 だから簡単な修正に見えるものでも、意外に時間かかったり

不満の反対は満足にあらず

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突然ですが、下の画像をご覧ください。 (出典:モチベーション(やる気)アップの法則) この図は、仕事を通じて、 「満足を引き起こした要因は何か?」と 「不満足を引き起こした要因は何か?」をアンケートした結果です。 この結果を簡単に言うと、不満を解消しても満足度は上がらないし、 逆に満足する要因がなくなったところで不満に思うわけではない、ということです。 会社の方針に不満がある人の不満を解消しても満足度は上がらず、 達成や承認によって満足度が高まるということです。 満足を感じるとき:一人ひとり価値観から出てくる要因 不満を感じるとき:外からくる要因 と書いているところもありましたね。 これを見て思ったのが、だから理念やビジョンって大事だってことと、 目標設定も大事だということです。 会社の方針が不満要素の最大要素であるなら、 ここが解消されない限りは不満持ち続けたまま仕事することになります。 また達成は目標達成そのものですから、 目標達成すること、そのことによって承認を得る事が満足につながる。 両方とも経営計画そのものでは?と勝手に思ってます。 話戻しますと、満足と不満は同一線上で語ってはいけないということです。 会社だけでなく個人の生活でも振り返ってみると面白いと思います。 私生活満足できないなと思って、不満要因だけを解決しても 満足には届かない可能性が高いということです。 ある程度両輪で考えていく必要がある場面もあるということを、 頭の片隅に置いておくといいかもしれません。 << 前記事 ボランティアから見る世界  |  TOP  |  次記事 改修の調査≒医師の診察 >>

ボランティアから見る世界

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東京五輪のボランティアの話が少し前に話題になりました。 こんな条件で来るか?という批判がいくつかありました。 一番最初の要項では、 外国語ができて、10日近く+事前講習に出る必要があるみたいなので、 集まらなかったら学生が動員されるのではという懸念もあるようです。 私はケチをつけられる立場でもないので、これ以上は控えておきます。 東京2020大会のボランティア活動(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会) 昔読んだ文章の中で印象深く、今でも記憶に残っているボランティアについての記載があります。 ボランティアは無償でなければいけないのか?みたいな話の中で、 海外では報酬ありますよ、という話です。 その記載の中では、ボランティアは元々は今の罪を清算するためのものとのこと。 ここでいう罪とは法律を破ったとかではなく、 人に親切にすべき時にしなかったとか、 ちょっとしたルール破ったとか、そういったものです。 罪を清算するのは、死んだ後幸せに過ごすためです。 もちろん金銭の報酬があるボランティアもあるようですが、 身を清めて次の世界へ飛び立つためにボランティアを行うという側面があるようです。 人のために行うというのもあるけど自分のためにもなっているということですね。 結論としては、 日本は死後の世界をどうするという土壌が弱いため、 ボランティアが広まりづらいのではというお話です。 思い出しながら書いていたので、詳細は違うかもしれませんが、 だいたいこのような感じです。 私が思うにきれいごとを述べるだけで何もしないよりも、 多少不純な動機であっても行動を起こしたほうがいいと思っています。 ボランティアも同じで、大事だ大事だというのでなく たとえ自分のためであっても行動起こしているほうが素晴らしいと思います。 日本でボランティアが広まらない理由に 「人のためでなければならない」「無償でやるのが正しい姿」があるなら、 「自分のため」「有償でもいい」などで広まってほしいなと思います。 もちろん人を救うという純然たる動機は素晴らしいことです。 ただ人を助けるという行動の足かせになっている部分が少しでも減ることを 願ってやみません。 << 前記事 地震大丈夫でしょうか

地震大丈夫でしょうか?

大阪または大阪近くの方、今朝の地震は大丈夫でしょうか? 私の実家が大阪のため聞いた時はドキッとしましたが、 ひとまず連絡がついてほっとしております。 本震の前触れではという報道もあります。 くれぐれもご注意ください。 地震発生時にやるべきこと・やってはいけないこと 『東京防災』のようなガイドブックも一つの備えかと思います。 必要であれば手元に置いておくことをお勧めします。 PDF版 Kindle版(無料DL) アプリ版DL(iOS版) アプリ版DL(Android版) 一刻も早くいつもの日常に戻れますことを願っております。 << 前記事 違う視点で見る  |  TOP  |  次記事 ボランティアから見る世界 >>

違う視点で見る

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朝、日めくりカレンダーを触っていたら気づいたのが、 なんか最近の日付に雨や傘の絵が多いなと。 なんで今まで気づかなかったのか思ったのが、単に梅雨のシーズンだからですね。 そう思ってから家を出ると目に入るものが変わっていました。 今までもそこにあったはずであるこの季節の花が気にかかるようになってました。 赤いものを見つけろと言われると赤いものが目に入るように、 梅雨の季節だとインプットされるとそれに関するものが目に入りました。 よく物事を多角的に見るのが大事だといわれますが、 こんな日常の道具からでもそういうことを学びました。 意識的に周りの日常のものを普段とは違う目で見てみる。 そこから仕事や他のことも違う視点で見るようになっていく、 そういうことをしていこうと思った今日の朝の出来事でした。 << 前記事 アンケートに思うこと  |  TOP  |  次記事 地震大丈夫でしょうか? >>

アンケートに思うこと

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昨日スポーツクラブからアンケートのお願いが来ました。 正直半年くらい行っていないので答えるか迷いましたが、 思うところもあって、回答しました。 利用頻度がどうとか利用する施設はどれかとかよくある感じのアンケートでした。 何かの役に立ってくれると嬉しいです。 さて本題ですが、 皆さんこういうアンケートってどうされていますか? ホテルに泊まったときや飲食店などに置いていたりするときがあると思います。 私は書けるときは書くように心掛けています。 「私は何もあなたには返せませんがあなたの持っているものください」、 というのが失礼に当たることもあるのはわかると思います。 「私はアンケート絶対書きませんが私が作ったアンケート書いてください」、 っていうのも似通っていると思ってます。 会社でもアンケートのお願いをすることがあります。 与えたものが得たものとはよく言ったもので、 自分がしないのに他人にしてもらうというのは、 都合良い話なのではないか?と個人的に思ってます。 プライベートでどこか訪れたときや、ビジネスで研修受けたときなども 良いも悪いもなるべく真剣に書こうと思っています。 じゃあこっちが書くようにしたから回収率が上がるかと言われれば、 もちろん直接的には関係なんてありません。 そんなのでやるなら皆やると思いますし。 でもアンケートを記入するといやでもアンケートのフォーマットや言葉が目に入ります。 それを何個も眺めていると、自分でやるときのヒントが得られることがあります。 こういう形式にすればお客様は書きやすいのではないか、 アンケート回収の導線はきちんと考えておかないと、などなど学べることもあります。 後は良い部分に目を付ける訓練になるかもしれませんね。 アンケートに良かったところを書こうとすると、 良いところはどこだろう、と少し意識するようになると思います。 長々と書きましたが、結論としては、 人にやってほしいと思うときに、自分が出来ているか、 自己を映す鏡になっていないか考えるときも必要、といったところです。 そんなことを昨日アンケートを書きながら考えていました。 << 前記事 ビジョンが大事だと思った体験  |  TOP  |  次記事 違う

ビジョンが大事だと思った体験

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Facebookの投稿を始めて今日で100日目。 3日坊主の私がここまで続けられたことに自分でほめてあげたい。 それくらいでと言われるかもしれませんが気にせずほめます。 そんな記念すべき日(?)のブログは、 ビジョンに心動かされた話、 頭ではなく心でビジョンが大切だと思った話をします。 出来事としては、 1.ビジョンを聞く 2.意見交換をする 3.そのビジョンに一緒にコミットした という、ただそれだけです。 2年前もいかないくらいにある日、私にビジョンを語ってくれた方がいました。 こういうことをしていこうと考えている。 足りてるのはコレで不足はコレ。 強みを生かす部分と弱みを補う部分はココ。 ここまで聞いたときはそういうことを思っているんだなくらい。 次に言われたのが「その中で森脇さんには...。」という滑り出しで、 ビジョンの中でこのAという部分を担ってほしいと思っている。 このBという分野を一緒にやってほしいと思っている。 そのことに意見を聞かせてほしい、と。 Aについては期待に応えられるようにしたいです、 Bは難しいのでCという形でやるのはどうでしょうか? と色々返答させていただいて、 じゃあそれで、というのもあれば、 それならまた別のこっちで、というのもありました。 最後に互いにこれでやっていこうとなりました。 私がこの出来事で感じたのは、 ビジョンの内容や中身、話合ったというより、 「森脇さんには」と話していただき、そのあとやり取りしたことで、 この人に巻き込まれたら、ビジョンを達成したら自分はこんな風になるんだな、 っていうのが具体的にイメージできたのが私には大きかったです。 この人のビジョンを達成すれば、私はこうなるというのが納得できれば、 その人に貢献することを考えるだけで済みます。 その人に貢献することそのものが、私自身のためになる。 ビジョンが社会貢献を考えていれば、その人に貢献するだけで、 自然と社会貢献になっている。 これすごいことだと思うんですよね。 一点集中するだけでいろんなところに波及させられるのが。 あとビジョンが個人レベルで腑に落ちたってところがありました。 会社という船がどこに向かっているかというのも

自己開示は難しい

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「よかったね」と言われて、ああ自己開示って難しいんだなと感じた。 いきなりなんの事かという感じですが、 最近個人的にショックだと思ったことがありました。 先日知人の方と会って仕事や趣味など、取り留めのない話を色々していました。 その中で私が最近は趣味のゲームについて時間が取れないという話をしたときに、 「よかったね」と言われました。 端的に思ったのはすごいこと言われたなと。 趣味で選別された気になるような言い方でした。 それどの趣味でも言います? 私が読書が出来なくなったって言っても言います? 私にとってはどっちも人生充実させるものなのに。 とかが、頭の中をグルグルしていました。 だいぶ違うけど共通項あるのではと思い出していたのが、 数か月前拝見した以下の文章でした。 子どもの趣味を知人に辞めるよう諭されたという方の話の中で、 子どもに対して「自分の力で生きられるようになって欲しい」と言うのに、 それと同じ口で、「子どもが自分で選んだ趣味を親がやめさせる」 なんていう発想が出てくるのか 子どもに、「将来やりたいこと」を見つけて欲しいですか? と聞かれれば、 多分大抵の親御さんが「はい」と答えると思います。 「自分でやりたいことを見つけられる」人に育って欲しいですか? と聞かれれば、 同じく大抵の親御さんが「はい」と答えると思います。 ところが、子どもがまさに自分で「やりたい趣味」を見つけた時、 どうもそれを無条件で尊重出来る親御さんは 多数派ではないように思います。 私は子どもがいるわけじゃないので、その部分は語れないのですが、 他人の趣味を否定するって、親子や友人関係なくあることだと思うわけです。 趣味って自分の好きなものに直結していると私は考えているのですが、 趣味を否定されることは好きなことを否定されたと同じかなと。 好きなものって見方変えれば自己そのものでもあるわけで、 否定されるかもっていう状態の中で開示するのは、 かなりハードル高くなるのは想像に難くないと思います。 趣味を否定する=自己開示を否定しておいて、 自己開示が大事だよって言うのって矛盾していないかなと思います

誰かに届けば価値になる

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ブログのページビューが1,000を超えました。 ご覧いただいてありがとうございます。 直接間接問わずコメントやいいねなどで、 リアクションいただけるのも本当にうれしく思います。 ブログの投稿も4週間目が終わろうとしています。 Facebookの投稿もカウントすると14週目が終わります。 ブログを始めた時は感動からのスタートでした。 Facebookで定期的に発信していたら声をかけていただいたことに対してです。 発信することを決めた経緯はありましたが、 誰かと話すことなく相談することなく勝手に始めました。 (そんな中で認めて応援してくれることには本当に感謝しています) 自分で1から100まで決めて実行したことによって、 声をかけていただくという行動の呼び水になった。 大げさで誇張かもしれませんが人の心を動かせた、 と自分勝手に解釈し、勝手に感動していました。 今でもコメントなどいただくと感動で、心の中ではガッツポーズです。 家でふとした時に見たときなどは実際に動作がついてきたりします。 誰にも見られないように気をつけないといけないですね。 ブログやFacebookに限らずですが、反応があるというのは嬉しいですし、 リアクションされるようなことを発信していけたらと思います。 閲覧数が目的となってしまっては本末転倒ですが、 誰にも届かないと意味がないのも事実です。 誰かが言っていましたが、 「 見られない名画よりも見られる下手な絵の方が価値がある 」です。 お付き合いいただける方に少しでも価値が届いてくれることを願って、 今日は締めさせていただきます。 << 前記事 相談上手より相談され上手になる  |  TOP  |  次記事 自己開示は難しい >>

人とAIは思考回路が違うからこそ

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藤井聡太七段、相も変わらずの強さで昨日もニュースになっていました。 「AIの読みをも上回る」藤井聡太七段の一手に棋士たちが驚嘆の声 AIが悪い手だと言ったのを選択して勝利し、周囲の度肝を抜いたみたいですね。 こういう場面では人vsAIというのがよく語られますが、人andAI、人とAIが相互にシナジーを起こすところにも、もっとスポットライトが当たると面白いなと思います。 (実際に羽生竜王はいち早くAIを研究して自分の打ち筋に取り入れたことで有名ですね) 話は変わりますが、1月ほど前にこんな文章を目にしました。 最強のAI同士に将棋を対局させると、どういう局面ができあがるかご存知だろうか?強い者同士が戦うのだから、さぞかし面白い対局になるかと思いきや、出来上がる棋譜は過激なだけで全く面白みに欠けた、学ぶべきものがないものになるのだという。 この事例は結構面白いと個人的に思っています。 システムの開発に携わることがなくても、日常生活において、人とAIの関係は切っても切れない時代になってきました。 人とAIが共に学ぶことはニュースにもなるし、AI同士が互いに学習する研究も時々テレビなどで見ます。 ただ AI同士の交流から人が学ぶこと、共感することは今でも難しい ということが一つ示されています。 共感できない理由は理由と過程を一切語らないことにあるらしいです。 MAP経営は経営支援を行っている会社です。 対人であれば「この施策を行ってください。結果はこういうのを予測してます。理由はこうで、結果が出るまでの過程はこうなります。」という話ができます。 対AIとなると「この施策だと結果はこうなりますのでやってください。以上。」で終わりです。 これが理由と過程を語らないということです。 私が思うには、確かに結果は出るかもしれませんが、納得と感動を生むというのは難しいと感じます。 今後AIの予測の精度は上がって結果を外すことはなくなってくると思います。 それでも結果は結局のところ過程の先にしかないし、 結果を生む行動は何か理由あってのことだと思います。 人には人の、AIにはAIのできることとすべきことがあると思っています。 得意分野で勝負するのは人も同じ、弱みを消し合って強みを活かせ合え

相談上手より相談され上手になる

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相談が下手な人って、どんな人?というのが書かれた記事を最近読みました。 ただ最も印象深かったのは、相談されるのが下手な人のことが書かれている部分でした。 順を追って書いていこうと思います。 その記事では相談ベタの定義について、「悩みがはっきりしないと相談してはいけないと思う人」と書かれていました。 相談上手は「仕事のことでなんとなくモヤモヤしている。何でモヤモヤしているのかわからない。そこですぐにだれか捕まえて、相談する人」とのこと。 その反論として、「相談するなら、何を相談したら良いかをまとめて、自分の中で課題をはっきりさせておかないと時間ばかりかかる」とあって、これは『会議』だと定義されていました。 会議と相談の違いとして、相談は「悩んでいることはわかる、何が課題かわからないけどとりあえず誰かに話してアウトプットすること」であると。 で、ここからが私が印象深く受けたところで、最後に締めの文章で、 「相談したい内容がはっきりしていないと嫌な顔をする人には、相談しちゃいけない」 自分はやってないかなあとか、会議というスタンスで聞いていないかなと思ってしまいました。 話しやすいというのも一種のスキルなのかもしれませんが、 誰かと何かを成し遂げるときって人に話してもらうことってものすごく大事だと思います。 何となくだけど話をもらったら解決策が本人の中で見えてきたとか、 ここを悩んでいたのかという発見もあったりします。 聞いた側としてももしかしたら何か助言できる場合もあるし、 私なんかは相談を持ち掛けてくれたこと自体が嬉しいです。 会議が必要な場面もあれば、相談が必要な場面もある。場面に応じて自然と対応できるようになりたい。そして相談上手より相談され上手になりたいと思った次第です。 << 前記事 失敗をやりきる  |  TOP  |  次記事 人とAIは思考回路が違うからこそ >>

失敗をやりきる

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前回は親の話を含めて思ったことを書いてみました。 今回も別の角度から親の話で思ったことを書いていきますので、 よろしければお付き合いください。 さて、今回は「 失敗をやりきる 」という話をします。 先週研修の中で講師の方が 「 途中で失敗しても最後までやりきってから振り返る 」 という話をされていました。 昔、父親も似たようなこと言っていたな、と思いだしていました。 父親が部下に指示したときの話でした。 父親が部下に1~10までやっておいて、と指示したところ、 1~5までしかしていなくて、途中経過の報告もなく確認されるまで待機状態。 内容も少し失敗している状態だったようです。 仕事でそんなことがあった日に、私に言ったのが、 「どうせ失敗するならやりきって堂々と失敗すればいいのに、 中途半端にやって(失敗か成功か)どっちつかずにしようとしているのが気にくわない」 父親としては言葉通り中途半端なことを怒っていたのか、 実は報告がなかったことを怒っていたのかわかりませんが、 私には 「堂々と失敗する」「失敗を中途半端にしない」 というのはかなり心に響きました。 一回しか言われたことがないにも関わらず今でも思いだすほどに。 やりきることの重要性はこの時に教えられたかなと思います。 MAP経営では経営サイクル=PDCAサイクルの定着の支援をさせていただいていますが、 決めたことをやりきることの重要性について教えられます。 決めたこと=プランが正しいかどうかやりきらないと 正しくチェックができないからです。 報連相をしっかりした上でやりきることを肝に銘じていきたいと思います。 << 前記事 意思決定は誰がする?  |  TOP  |  次記事 相談上手より相談され上手になる >>

意思決定は誰がする?

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経団連の規定により6月から2019新卒採用の選考が解禁されました。 もうすでに内定が出てる方もいると聞きますが、 悔いのないよう活動してほしいと願っています。 ご覧いただいている方でお時間ある方は、 弊社の採用ページ覗いていただけると嬉しいです。 MAP経営リクルートサイト 前置きが長くなりましたが、今回は仕事観で親に影響を受けた 意思決定の話を書こうと思います。 先日「 会社は多数決ではない。意思決定者は一人 」という話を伺いました。 会社の意思決定は社長が、部門の意思決定は部長が、と 組織の意思決定はその組織の長が責任を持って行うという話。 自戒を込めて話を聞いていたのですが、ふと父親の姿が頭をよぎりました。 私の仕事観の根底は親によって形作られたと思っています。 社会に出る前に時々仕事の話をしてくれていました。 父親は高校の同級生と会社をしていた時期があって、 経緯は聞いたことがないのですが、 同級生の方が社長で父親が副社長みたいな感じのようでした。 その時に二人の関係性について話をしてくれた時があって、 「 プライベートの時は友達だから一緒にいてもお互いに好きにやるけど、仕事ではあいつが決めたことは言うことを聞かないといけない。 」 正確には思い出せないのですが、このような感じのことを言っていました。 当時はふーんというくらいにしか思っていませんでしたが、 改めて考えるとすごいことなんじゃないかなと。 推測ですけど、距離が近いし立場も近いだけに、 見えることも似ていたと思うし、言いたいこともあったはず。 でも意思決定されたことには、きっちりこなそうとするのって、 当たり前のようでなかなか難しいことだと私は思います。 さらにそれを子どもに話すというのは、何か考えがあったのかわかりませんが、 この辺りから自分の仕事の考え方が作られていくのだなと思った次第です。 << 前記事 システム雑記/VPN  |  TOP  |  次記事 失敗をやりきる >>

システム雑記/VPN

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自分ではわかっているつもりでも人に聞かれると説明が難しい。 そんなことを最近感じます。 後輩からいろいろと聞かれると私自身の勉強にもなって本当にありがたいです。 今回は『VPN』について書いてみます。 VPNはVirtual Private Network、日本語にすると仮想専用線となります。 ネットワークにつながっているPCであれば、 インターネットを通じて、相手側のPCにアクセスできます。 ただ不特定多数の情報が行きかうインターネットでは、 何でもかんでも通信を許すのはよろしくない場合があります。 それを解決する一つの手段が、VPNです。 VPNはつなぎたいネットワークにトンネルを通すイメージです。 (教えていただいた方ありがとうございます) 専用の回線を引かなければ本来は出来ないのですが、これが本当に高価。 そこでインターネットの回線にトンネルを通してしまい、 安価でかつ外の人からは何が通っているか全く見えない状態にしてしまう。 これがVPNとなります。 仮想専用となっているのは、本来は誰でも通るはずの道に トンネルを作ることで仮想的に専用の回線として使用するためです。 一から道を作るとお金も時間もかかるけど、 今ある道を利用してコストも時間も削減できるというわけですね。 人に言語化して伝えることができるよう勉強怠ってはいけませんね。 << 前記事 ブログの目的  |  TOP  |  次記事 意思決定は誰がする? >>

ブログの目的

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ブログ始めてしばらくして、 「どういう目的で誰に伝えたいのか決まってるの?」ということを聞かれました。 私の中では結論が出ていたのですが、今回はそのことについて書いていこうと思います。 まず目的については、ブログを始める前にFacebookで投稿、 すなわち情報発信を始めたわけですが、 その目的は大きく分けると3つになります。 1.所属組織の発信力を高めること 2.インプットとアウトプットの質を向上させること 3.仲間をつくること 上の3つがそのままブログでの発信の目的にスライドされた形です。 なのでブログの目的はと聞かれれば、これが答えになります。    1. 所属組織の発信力を高める 組織と言っても結局は人の集まりなので、 まずは個人から発信増やしていって、徐々に浸透していけばいいなと。 私個人の影響力はいかほどのものかというのはありますが...。 やらなきゃゼロですし、続けていけばどこかで1になる、 その実現に向けて邁進する日々です。    2. インプットとアウトプットの質を向上させること あるコンサルタントの方が仰っていた、 「インプットの質を高めたければアウトプットを意識すること」 赤いもの探してくださいと言われれば赤いものが勝手に目に入るように、 聞いたことを自分だったらどう伝えるだろうと考えるようになれば、 自然とインプットへの意識が強くなる、と私は勝手に解釈しています。 アウトプット意識すると言われても実際にアウトプットの場をつくらないと 意識してるも何もない、と思った時に情報発信するか、となったわけです。 先輩にも情報発信するようになったら目に入るものが変わったと仰る方もいますし、 私ももっとインプットの質を高めていけたらと思います。 インプットの質が高まれば自然とアウトプットの質も高まって、 またそのことによってインプットの質が高まる、 という循環を作っていきます。    3. 仲間をつくること 記念すべき(?)ブログの最初の投稿で方向性のところにも書きました。 この考えの発祥はある経営者の方の言葉で、 「これだけSNSも発達した時代だと、自分の考えを発信することが容易になった。発信をしていればその考えに共感して仲間になってくれる人も現れる」 とい