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自己肯定感と幸せ

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自己肯定感が低いと、褒められても、それを素直に受け入れることができない。
を読んで、ふとある知人を思い出した。

 自分のことが嫌いな人 その知人は自己肯定感が低く、自分のことが嫌いである。
そうなったきっかけを簡単に言えば、
周囲の期待に過度にプレッシャーを感じてしまったことだと考える。

周囲の期待を10に設定し、成果は7、でも実際は期待も5くらいなので、
本当は問題ないどころか期待を超えているのだが、
本人には納得がいかないというところなのだろう。

自分に厳しいと言えば、聞こえがいいかもしれないが、
実際は自分を下に見ることで、自分を守っているように見える。
出来ないことを前提としていれば、本当に出来なかったときにダメージが少ないからだ。
そんな経緯で自分に対する自信は全くないと言っていいと思う。

記事にもあるが、この人は褒められても褒められていると認識しない。
自分が褒められるに値すると思っていないので、受け取れない。

成功体験を積ませればいいのかというとそれも難しい。
成功ハードルを勝手に上げていくので、周りが成功と思っても、
本人が思わないので、効果がないのである。

 自己肯定感が低くても幸せに
自己肯定感とネットで調べると、
自己肯定感を高める方法と多く出てくるあたり、
低いのはダメというのが一般的なのだろうと思う。

でもこの知人を見ているとそうでもないのではと感じる。
自分が嫌いなこの人はすごく幸せそうにいつも話をする。
曰く、素晴らしい人たちに囲まれているのが自分にはもったいないくらいだとのこと。


自己肯定感が高かろうが低かろうが、幸せになれるはず。
知人が恵まれた環境にいることや、偶然そうなっただけであることには違いない。
でも低いから高くしようではなく、低いならどう幸せになれるか、
自己肯定感を高くしたほうがいいのか、そのままで幸せを模索したほうがいいのか、
それくらいの選択肢はあってもいいと、私は思います。


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頭のいいナマケモノになれ

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タイトルの言葉は私が新卒の就職活動をしていたときに、
あるシステム開発会社の採用担当の方から言われた言葉です。
「頭のいいナマケモノ、私たちはそういう人を求めています」と。

この言葉の意味は皆さんに考えてほしいので答えは言いません、と言われたため、
その会社がどのような意味で定義していたのか、今となってはわかりません。

ただこの言葉は妙に印象に残っていて、今でも時々考えます。

学生当時は、「システムは同じ作業を省力化し時間削減するものだから、1時間で出来ていたのを30分で出来るようにして、空いた時間は楽に仕事していくのかな」とくらいに思っていました。
でも当時から違和感があったことも事実でしたが、自分の中でこれだ!という答えもないままでした。

そして最近その答えと言ってもいいのではないかと思ったのを目にしました。
ホリエモンこと堀江氏の書籍に、このように書いてあります。
****
「手抜き」には2種類ある。
一つは、「手を抜いて、頭も使わない」タイプ。これは単なる怠けである。
仕事でこの手抜きをすれば、何の成果も出せない。
もう一つは、「他のもっと有益なことに手や頭を使うため」にショートカットするタイプだ。
たとえば、膨大なデータの精査やリスト化をコンピュータに任せ、自分はその結果を分析することに注力する。
これは、怠けとは根本的に違う。
浮いた時間は、自分の本当にやりたいことに使えるのだから。
自分をさらに成長させるための積極的な「手抜き」だと言える。
****

このショートカットするタイプのことではないかと。
大事なのは、システムを使う人が成果に注力できるかを考えることではないかと。
だから「頭のいい」+「ナマケモノ」なのではないかと。

上に書いた省力化や時間削減はそれ自体が目的ではなく、
その状況になった時に改めて何をするかを問うのが重要なんだと思います。
曲解かもしれませんが、そんな風に考えています。

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季節の売り物

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熱中症に気をつけないといけない季節になり、水が売れる時期になりました。

学生時代、通販のミネラルウォーターの梱包・出荷のバイトをしていた時、
7月8月の出荷量はすごくて、残業と人員の臨時追加で乗り切っていました。
9月後半になってくるとかなり暇になり、
定時まで作業するまでもなく、当日出荷分を捌けるようになり、
夏が終わったなと感じたのはいい思い出です。

同じ作業場にあるスーパーのピッキング(倉庫から商品を取り出す作業)も担当したときも、
時期によって商品の出荷数の増減があって、
今はこういうのが売れるというのが体験できたのは、
いい経験だったかもと今では思います。
もっと前のめりにやっておけばよかった...。

バイトからでも市場のニーズを間近で見れる機会があれば、
少し深く考えてみるのも面白いと思った話でした。

エアコンが全くない中、十数リットルの水を倉庫の中、右へ左へ運ぶのを
もう一度やれるかはわかりませんが...。


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「作った方が良い」をどう扱うか

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システム開発関連のサイトを旅しているとこんな記事を見つけました。
システムでは「作った方が良い機能」は作らない方が良い理由


システムを作る際の機能の分類の一つとして、
「必要」「不要」「あったら便利」な機能があります。
必要は作る、不要は作らない、あれば便利は作るか否か、
それぞれ意見はあると思います。

私としては記事に書かれている通り、
一度保留にしておいて、運用後やっぱり必要なら作る、
PDCAを回し、小さく生んで大きく育てるというのを推したいところです。


システムだけでなく商品などのモノもある程度同じことが言えるでしょうし、
普段の業務でも要不要のものから、
やった方がいい、やった方がマシといったものもあるはずです。

パレートの法則(成果の8割の2割の活動で生み出される)ではないですけど、
必要なもの(やっていること)、
不要なもの(やらないと決めたこと)、
あったら便利(やった方がいいからやっていること)のどれが成果につながるか、
考え行動する必要があると思う最近です。


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事実データの影響力

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顔を見て話をしたことがある人からの評価をもらう場合と、
ネットでしか知らない人からの評価をもらう場合、
どっちが影響力があるかを最近考えることがあります。
 どちらに影響力があるのだろう? このブログで新規に記事を作った後、Facebookで更新をお知らせします。
そうするとFacebookのいいね数とブログの閲覧数といった事実データがわかります。
Facebookが会って話をしたことがある人だけがFacebookの友達ならば、
会ったことがある人からのデータと言えるかと思います。

反対に、SNSを匿名などで行ってそこで発信している場合、
一度も会ったことのない人から閲覧数などで評価されていると言ってもいいかと思います。


ここから本題です。

発信のペースを同じだと仮定して、
会ったことがある人からの評価=いいね数が1回あたり5~10、
会ったことがない人からの評価=いいね数が1回あたり50~100という
事実があった場合、どちらの方が心が動くでしょうか?

どちらの方が価値があるかに関しては、私には答えを持っていませんし、
心が動くのも人によってそれぞれあると思います。
 数の力はでかい 個人的な経験と感覚から言うと、顔を合わせた人からの評価の方が、
重要視すべきと思いつつ、数の影響力は無視するのが難しいと感じています。

実際の数の多さを見るとそちらの方が注力したくなってくるというのが実感です。
数が全てというつもりはもちろんありませんが、
影響は無視できないと思うこの頃です。


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アウトプットを続けていくと自分が薄くなったように感じた

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アウトプットをひたすら行うのがただ苦痛だったときの話を書いていこうと思います。
だただひたすらアウトプットをしていたとき ブログを始める前、ブログと同じもしくはそれを上回る分量の記事を、
ひと月の間、切れ目なく吐き出していたときがあります。
自分の中で決めたテーマがあって、それについて延々と書いていく感じでした。

その時決めたテーマがなんというか、かなり範囲を限定してしまって、
「システム開発→プログラム→言語→Python(プログラム言語の一つ)、よしPythonというテーマでずっと書こう」みたいなテーマ決めの仕方でした。

1か月30日、この単独のテーマで書いていくと後半書くことがなくなってきて、
絞りだすような感じになります。
最初は何も悩みなんてありません。
悩みがないどころか、書きたいことがたくさんあるので、楽しくなります。
絞り出す作業(あえて作業と書きます)も、最初の内はもっといいものが書けるかも、みたいなテンションでした。
そしてそこを超えると苦行が始まりました。

出せるもの出し切った後にさらに出せと言われているようでしたし、
(実際は勝手に一人でやっていただけですが)
ここまで毎日続けてきたし、というある種板挟みになっていました。

無理やり出しているから文章の中身が薄く見え、
それを見てへこむみたいな循環を繰り返していました。
どこかでインプットが必要だ この経験から痛感したのは、アウトプットを続けるには、 それ以上のインプットが必要という当たり前のことでした。 当時のひと月はそのテーマに関するインプットをあまり出来ておらず、 ただ書いては公開する、ということをしていました。 その結果、書くことを薄く伸ばして、出していくしかない状況になっていました。
目的を持ってインプットすることもあれば、 漠然と取り組んでいたことが、他のアウトプットに生かせることもありますが、 何にせよアウトプットを続けたいなら、インプットが必要と感じた出来事でした。
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1万時間の法則から20時間の法則へ

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1万時間の法則、ご存知の方も多いと思います。
話す人によって細かいところは違えどおおまかには、
「トップレベルになるには1万時間必要」と言うところかと思います。

それに関連する中で以下の記事を読みました。
「一人前になるには1万時間必要」は誤りだった! たった20時間で新たなスキルを身につけられる4つのコツ

1万時間というのは、1日3時間だと年間1,095時間、約10年かかることになります。 1日8時間だと年間2,920時間、約3年かかる計算です。
こう見ると結構時間がかかることがわかります。 それだけ人生を費やすかどうか、そもそもこの法則が正しいかどうかに関しては、 ご覧いただいている皆さんの判断にお任せするとして、 20時間について思うところがあったので書いていこうと思います。
 20時間もハードル高いのでは...。 まあまあいいレベルまでなら20時間で到達できるとのこと。 1万時間よりは簡単そうですが、個人的な経験上20時間も やりようによっては意外にハードル高いんじゃないかなと思います。
リンク先にいろいろ続けるためのコツが書いていますが、 個人的には、20時間くらいまでは、 毎日目標達成して、そのあとに書かれているコツを実践するほうがいい気がしています。
1日5秒練習するみたいな目標でもいいので、
毎日継続して、毎日目標達成していけば、
20時間経過するころには、それなりになっています。
そのころには毎日継続することが苦でなくなってきているはずです。

 20時間もハードル高いのでは...。 記事にも書いてありますが、何か始めたらまずは20時間やってみてから判断してみてもいいと思います。
向いている向いていないは絶対あるので、そこにこだわる必要はないですが、
判断するのに早すぎて勿体ないということがないようにという意味では、
一つの判断軸かと思います。

さて、新しいことを20時間始めてみるとしましょう!


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