アウトプットを続けていくと自分が薄くなったように感じた

アウトプットをひたすら行うのがただ苦痛だったときの話を書いていこうと思います。

    だただひたすらアウトプットをしていたとき

ブログを始める前、ブログと同じもしくはそれを上回る分量の記事を、
ひと月の間、切れ目なく吐き出していたときがあります。
自分の中で決めたテーマがあって、それについて延々と書いていく感じでした。

その時決めたテーマがなんというか、かなり範囲を限定してしまって、
「システム開発→プログラム→言語→Python(プログラム言語の一つ)、よしPythonというテーマでずっと書こう」みたいなテーマ決めの仕方でした。

1か月30日、この単独のテーマで書いていくと後半書くことがなくなってきて、
絞りだすような感じになります。
最初は何も悩みなんてありません。
悩みがないどころか、書きたいことがたくさんあるので、楽しくなります。
絞り出す作業(あえて作業と書きます)も、最初の内はもっといいものが書けるかも、みたいなテンションでした。
そしてそこを超えると苦行が始まりました。

出せるもの出し切った後にさらに出せと言われているようでしたし、
(実際は勝手に一人でやっていただけですが)
ここまで毎日続けてきたし、というある種板挟みになっていました。

無理やり出しているから文章の中身が薄く見え、
それを見てへこむみたいな循環を繰り返していました。

    どこかでインプットが必要だ

この経験から痛感したのは、アウトプットを続けるには、
それ以上のインプットが必要という当たり前のことでした。
当時のひと月はそのテーマに関するインプットをあまり出来ておらず、
ただ書いては公開する、ということをしていました。
その結果、書くことを薄く伸ばして、出していくしかない状況になっていました。

目的を持ってインプットすることもあれば、
漠然と取り組んでいたことが、他のアウトプットに生かせることもありますが、
何にせよアウトプットを続けたいなら、インプットが必要と感じた出来事でした。

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