自己開示は難しい

「よかったね」と言われて、ああ自己開示って難しいんだなと感じた。


いきなりなんの事かという感じですが、
最近個人的にショックだと思ったことがありました。

先日知人の方と会って仕事や趣味など、取り留めのない話を色々していました。
その中で私が最近は趣味のゲームについて時間が取れないという話をしたときに、
「よかったね」と言われました。

端的に思ったのはすごいこと言われたなと。
趣味で選別された気になるような言い方でした。
それどの趣味でも言います?
私が読書が出来なくなったって言っても言います?
私にとってはどっちも人生充実させるものなのに。
とかが、頭の中をグルグルしていました。

だいぶ違うけど共通項あるのではと思い出していたのが、
数か月前拝見した以下の文章でした。
子どもの趣味を知人に辞めるよう諭されたという方の話の中で、
子どもに対して「自分の力で生きられるようになって欲しい」と言うのに、
それと同じ口で、「子どもが自分で選んだ趣味を親がやめさせる」
なんていう発想が出てくるのか
子どもに、「将来やりたいこと」を見つけて欲しいですか?
と聞かれれば、
多分大抵の親御さんが「はい」と答えると思います。
「自分でやりたいことを見つけられる」人に育って欲しいですか?
と聞かれれば、
同じく大抵の親御さんが「はい」と答えると思います。
ところが、子どもがまさに自分で「やりたい趣味」を見つけた時、
どうもそれを無条件で尊重出来る親御さんは
多数派ではないように思います。
私は子どもがいるわけじゃないので、その部分は語れないのですが、
他人の趣味を否定するって、親子や友人関係なくあることだと思うわけです。

趣味って自分の好きなものに直結していると私は考えているのですが、
趣味を否定されることは好きなことを否定されたと同じかなと。

好きなものって見方変えれば自己そのものでもあるわけで、
否定されるかもっていう状態の中で開示するのは、
かなりハードル高くなるのは想像に難くないと思います。

趣味を否定する=自己開示を否定しておいて、
自己開示が大事だよって言うのって矛盾していないかなと思います。
イコールの部分は私の勝手な考えなので、暴論かもしれませんけど。

法に触れるとかマナーに反することはしてはいけないと思いますけど、
それ以外であれば人の好きなものは尊重できる世の中になってほしい。
自律も込めてそんなことを思う今日この頃でした。


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