根拠や理由なんてものがなくても生きる世界でありたいと思う

私は本、特に小説を読むのが好きだ。
理由は後付けしていけばいろいろあるし、語ることもできるけれど、
突き詰めれば、読んでいてわくわくすることが多いからということになる気がする。

かといって流行りの本をそんなに知っているわけでもないし、
最新情報をいちいちチェックしたりはしません。


ちょっと話は逸れますが、好きというのに
最近見た話だと、こんな話。
「陶器が好き?自分で焼いたりすんの?と彼は言った。」
「いや全然」
「ブランド集めたりすんの?アウガルテンとか、カルパネリとか。」
「いや全く。ブランドは殆ど、知らん。陶磁器の知識とか、殆どない。ただ綺麗な陶器を探したり見るのが好きなんだ。」
「いや、好きっていうならもうちょっと詳しくなるもんなんじゃないの。それは別に好きって程のもんじゃないんじゃないの」

好きなら知識も勝手に拾おうとするし、行動するから技術もついてくる、みたいな感じでしょうか?

そんな人に向けて言った次の言葉を私は大切にしたいなと思っています。
「好きを理由に知識や技術が広がるものもあれば、在るだけで居るだけで幸せな好きもある。」

自分の話に戻します。
小説に関しては、気が向いたときに本屋に行き図書館に行き、ちょっといいなと思ったのを手にとってくらいなので、最新情報とかは全く見ません。

でも本を読むのは大好きですし、他の人のおススメの本を知りたいし読みたい。

別に知識なんてなくたって技術なんてなくたって、そこからつながっていく、
人から人へつながっていく世界であってほしいなと強く思います。

なんかわからないけど好きなこと、
なんかわからないけどやりたいと思ってしまったこと。
別に形になる必要がなくたって、何か没頭できる世界があって、そこに人が集まって、
やっていくうちにそれらの一つが運よく世間で言われる成功と呼ばれるものにでもなればいいのではないかなと思っています。
そしてそんな世界を創りたいなとも思っています。

没頭に人と運が結びつき共鳴するビジョンの実現に向けて、頑張っていけたらなと思います。

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