些細な失敗を笑うことについて

最近、ここ半年から1年くらいモヤモヤしていることあるんだけど、どう表現すればいいんだろうと思っていたら、これに近い感じだなと思ったものがあるので紹介しようと思います。
ボビー・オロゴンさんって覚えていますか。「外国人特有の」おもしろい日本語でお茶の間を沸かした彼です。
日本では、外国人の片言日本語は、「なんだその発音」「なにその言い間違え」のように、笑いの対象になります。それは意地悪な意味じゃなくて、愛情のある、いわば「なにしてんねんお前w」みたいな気持ちでの「笑い」であることが大半です。
一生懸命外国の言葉で話している人の日本語を貶すような心の貧しい人もなかにはいますが、実際のところ、暖かく見守りつつ「愛嬌があるなぁ」という意味で「おもしろい」と感じている人がほとんどだと思います。
でも、いくら悪意がなくとも、それは「笑い」になっちゃいけないと思うんですね。
(中略)
ええ、相手に悪気はありません。でも、馬鹿にされている気分になるんです。笑われると、チャレンジする気がなくなるんです。
(中略)
その悪意ない笑いが、外国語学習者にとってはものすごいプレッシャーになることもあるわけです。辱められてる、みんなに笑われてる、みたいな。悔しいし恥ずかしいし。


外国語の学習だけでなく、あることにチャレンジしている人のちょっとした失敗のときに笑いが起こるのもこれに近いんだろうなって思うんですよね。

大層なことでなくて、身内だけの懇親会の仕切りだとか、社員だけのイベントの司会だとかで、初めてやってみる人が少し言い間違えたとか、話を飛ばしてしまったとか慌てている姿に、笑いとか起こったりしません?
それで本人はさらに慌てて、また間違えて、さらに笑いが起こる、みたいな。
なんか私はそこに違和感感じてしまうみたいなんですよね。


初めてやるのもそうだし、継続していることでもいいんですけど、本人にとっては一つの挑戦じゃないですか?
大なり小なり覚悟していると思うわけです。
もちろん気軽に引き受けていたりしていることもあると思いますが、そうでない場合もあるわけで。
見ている周りからすればそんなことでそこまで肩ひじ張らなくてもっていうことでも、本人はそうでないこともありますし。


それを笑いにしてしまうってどうなんだろうな、って?

笑いで流してしまったほうが本人も気が楽だ、という場面があることも別に否定はしません。
悪意ないからいいじゃんっていうのもあるのかもしれません。


ただ引用先にも書いていますが、それで誰かのチャレンジ潰している、大げさに言えば人生潰している可能性もあるよってことです。
悪意より善意の押し付けの方が怖いというのは、時々見かけますが、それに近いところがあるのではと感じることがあります。


とここまで書きましたが、私が神経質なだけなのかもしれません。
こんな偉そうに書いておいて、お前は出来てるのかよ、と問われれば、自信ないですし。
多分私が同じことをやっているから、そういう場面を目撃するんだろうなと思います。
ちゃんと自省しないといけませんね。

どんな方向にこれから世界が進むかはわかりませんが、誰しもがチャレンジでき、それを応援できる世界になるといいなと思います。
そのために出来ることをまずは少しずつやっていけたらと思います。

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