世にある制度はどこかの誰かのためにあることを忘れない

新しい制度が始まると「これいらなくね?」とか「しょうもない制度だなあ」とか言う声が上がる。
上から降ってきてかつ自分に取って全く有益な状況が浮かばないものはなおさらそんな気持ちになってしまいます。
社内のセキュリティなんてそうなりやすくて、お客様の情報を守るため、ひいては自社のためにつながるんだ、と言われても現場の人からすれば、煩雑な手続き増やしやがってとなりがちです。

申請の手順が変わるとか、今まで時々やるだけで良かったのが毎回義務化されるとか、この辺りは反発招きやすい気がします。


ただこういうの思わず口にしてしまうの良くないよなあっていう反省を込めて今回この投稿書いています。

当たり前の話ですが、世の中にある制度はすべからく誰かの益になる、言ってしまえば誰かが得をするから、その制度が出来るわけです。(もちろんマイナスをゼロの状態に持ってくるパターンもあると思います)

だからはたから見たらどれほどしょうもないと思えるような制度であっても、100人中99人がいらないと思えるようなものでも、誰かが得をしたいから作られるわけです。
それを考えれば、これは何のためにあるのか、誰のためを考えられているのか、を一切考えず、自分にとっていいものではないからと言って、一言で切り捨ててしまうのは、一つの思考停止なんじゃないかなと思うわけです。


もちろん時が経ち時代に合わなくなっているものもたくさんあるし、
新規の制度だって話合えばもっとよくなるものもたくさんあると思います。

見直すことも議論することももちろん大事ですが、それが誰かのためにつくられたのか、作られようとしているのかは頭の片隅にいれなければなりません。
自分だったらそんなもの作らないのにと、はなから考えを放棄しないようにしないといけません。

いやホント反省だなと思います。
新しい制度も今ある制度もきちんと考えてみることを忘れないようにしたいと思います。

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