変化を楽しめないのは変化を起こす側じゃないから

今日朝礼で変化楽しいですよね、という話が出ました。

確かにそうだ、という思いと、なんか腑に落ちないなという思いが頭を巡ったので、改めて考えてみることにしました。

結論としては、
「人は(受動的な)変化は苦手だが、(能動的な)試みは好きだ」ということなんじゃないかなと思います。
まあこの言葉は下のリンク先からの受け売りなんですけどね。少し文言に自分の解釈を入れましたけど。
結局、「すぐ試す人」には、かなわない。

まあこれはネットでもいろんな人が発信していることを見ればすぐ納得できる話でもある。

例えばだけれど、幼少のころからスポーツが嫌いな人がいる。
トレーニングなんてもっての他で、体育の授業なんて苦痛そのものだった。
ずっと運動もせずで来たけど、ふと興味が湧くものがあった。
やってみるとめっちゃ楽しい。
そのためのトレーニングすらしんどいけど全然苦にならない。
なんでだろうと思い返せば、やることを自分で選択したからだと気づく。

こういった話はいくらでも転がっている。

私自身も自らの意思でスポーツクラブに通うのは楽しかったし、今でもトレーニングを続けられている要素の一つは間違いなく自分でやると決めたからでもある。

変化を好むようになりたいのであれば、自ら変化を起こすしかないのである。
変化と言えばおおげさに聞こえるが、要は昨日と違うことを今日するだけのことである。
通勤時に道を1本変えてみるのもいいだろう。
1本早い電車に乗ってみるのもいいかもしれない。

大した変化じゃない?
小さな変化がいずれ大した変化になっている、習慣が大事だといわれる所以でもある。
そもそも小さな変化で体を慣らしておけば、大きな変化が来ても波に乗りやすいだろう。

やってみたいと思えば、ちょっとずつでもやっていくしかないのである。
リンク先の言葉を再び借りるのであれば、試すことはどう転んでも生産性の向上につながるのだから。

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