ロールモデルも大事だけどないことに焦る必要もないよ

新年度が始まり新社会人となられている方も多いと思います。
1週間程度経過いたしましたが、皆さんいかがでしょうか?

会社になじめそう、やっていけそうと思う方もいれば、
ちょっと厳しいかもと思う方もいるかと思います。
どんな感情持っても自分に正直になりましょう。
行動に直結させるかどうかの選択肢は皆さんにありますので、どんな感情を持っても直情的に動くかは考える必要はあります。
しかし感情そのものを否定するとしんどいというのが個人的な経験なので、醜いと思える感情が湧いてきても否定することなく、じゃあそう感じた上でどの行動を選択するか考えてもらえたらなと思います。


今回はロールモデルの話。
キャリアを描く上でいわゆるロールモデル、こんな人になりたい、というような人がいることが大事と言われたことはないでしょうか?
ロールモデルが大事だということは否定しないですし、いた方がいいとは思いますが、今回の投稿はそう気負う必要ないよ、という観点で述べていこうと思います。

さて、個人的にロールモデルがいらないシーンとして考えるのは、この人のために尽くしたいと思う人が出たときだと思っています。
なぜならば、この人のために尽くしたいということは、その人と一緒に何かしたいわけで、そうすると同じタイプの人は成果を出すには不要だからです。

当たり前ですが、同じタイプの人が集まって何かをするということは、出来るものも議論の内容も同じものです。
変化の激しい昨今に置いて違うタイプの人と同じ目的で何か成果を出すということが重要になります。
同じ目的という前提はもちろん必要ですが、その目的を成し遂げるための道筋をそれぞれ描けないのであれば、個人の限界がそのままその集団の限界になってしまいます。

だからこの人のためにできることはすると思える人がいたならば、その人はロールモデルとは正反対になるはずで、ロールモデルがなくてもその人とぶつかりながらも一つの方向に向かった方がいい、
それが私がロールモデルを絶対視しない理由です。


もちろん上に書いたような人がいた上で、なおかつロールモデルがあった方がいいというようなこともあったりするので一概に言えないですが、
その辺りも含めて改めて考えてみると、新しい発見があるのではと思います。

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