何よりも自分が幸せでいることに貪欲に

滅私奉公の話を聞くたびに以下の話を思い出します。
「滅私奉公なんて、無用の長物ですよ。」と、その経営者は言った。
「そもそも何ですか滅私奉公って?滅私は長続きしないですよ、当たり前です。誰だって、自分が可愛い。」
「いいですか、欲望や私的な目標がない人が、会社に貢献できるわけがない。これは、昔からずっと同じです。」
私の中ではかなり好きな話の一つでもあります。

なぜこの話が好きかというと、これまた人の言葉を借りますが、
“Happy people make happy horse.” 自分自身がまず幸せじゃないと、他者を幸せにすることは難しい。
との言葉通り、まず自分が幸せであること(幸せになることではないと私は思う)が大切だと私は考えるからです。


与えたものが得たものという言葉があるように、得たいものがあるならば先に与える必要があります。
ならば幸せを得たいのであれば、幸せを与える側にならなければなりません。
幸せを与えるということは幸せを持っている、つまり幸せである必要があるはずです。
だからこそ私たちは幸せであるか、少なくとも自分は幸せであると錯覚しておかなければなりません。

真に幸せかなんて当人しかわからないのですから、傍からみてどうだとかそんなの関係なく、思いこむだけでも問題ないと思います、多分。


もちろん世界中の人が幸せになることはできません。
世の中のリソースが有限である以上、絶対的貧困の問題、寝食が保証されないようなこともあるでしょうし、
世の中に順位や序列がある以上、相対的貧困の問題からは逃れられないでしょう。
「99人の人に好かれてもその99人に好かれることを嫌う人がいる」と言った人がいますが、こういう問題が付きまとう以上は、全員幸せというのはなかなか実現は厳しいでしょう。

であるならば、自分とその周りだけでも幸せになりましょう。
それで周りの人がさらにその先の人々と幸せになればこれほど嬉しいことはないではありませんか。
私とこれを見てくださる方で怖くなるほど幸せでいましょう。

一番上のリンク先に書かれている言葉を引用して、今回の締めとします。
かつて、「会社のためでなく、自分のために働け」と本田宗一郎は言った。
「所を得る」とは、おそらく、そのようなことだったのだろう。

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