Aが好きだからBも好きなはずという一括りはしたくない

「本屋が好きっていう人ほど本読んでいない」と言う人がいて、
それに対して資格も知識も要求する必要がないと反論する人がいる。
「好き」って口に出して言う人ほど…
私も何となく好きっていうだけで応援したいし、
それが同じジャンルならもっと好きになってほしいし、
そのぼんやりさを寧ろ語り合いたいと思う。

好きになり始めた人を昔から好きな人が認めなかったら、そのジャンルは新しい人がいなくなるから衰退まっしぐらというのもありますが、
単純に自分の気づいていないところに気づかせてくれる可能性も高く、私がそのジャンルをさらに好きになることもあるので、かなり楽しいと思ってます。

まあここまではリンク先にも似たようなことが書いてあるので、これくらいにして、
今回私が書こうと思うのは、好きっていうのを一括りにしすぎじゃないかと思ったことについてです。
どういうことかというと、先の話で言うと「本屋が好きなこと」と「本を読むのが好きなこと」って全く別次元の話だと私は思ってます。

本屋が好きな人は本がたくさんあるあの空間が好きなだけで、読むことそのものはそうでもないかもしれないじゃないですか。
新品の本のにおいが好きとか、ページめくる音が好きという理由で本屋が好き、でも本は読まない、というような人がいてもおかしくないと思うわけです。

もちろん確率的には「本屋が好きなこと」=「本を読むのが好きなこと」になりやすいとは思います。
でもそこに因果関係はなく、そしてイコールでないことを否定すべきではない。
そして「本屋が好きなこと」=「本を読むのが好きなこと」決めつけて話をしない。
今回は本屋と本の関係性で話を書いてきましたが、他のことも一緒だと思います。

Aが好きならBも好きなはずだというのは決めつけず、
好きというのに知識など必要とせず、
何が好きか理由が漠然とでも良いので発信する話で溢れる世界になったら良いのになと思います。

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