褒めを受け止めるにも素養が必要

褒められてもスッと受け取る方もいれば、疑ってみてしまう方もいれば、
謙遜してしまう方もいると思います。

なんでそんな差が出るのかなと思っていたのですが、ヒントになるかもと思うものを見つけました。
「お、良く出来たね」とか、「分かってるじゃん、偉い」とか、そういう通り一遍の言葉を投げかけても全然反応がないし、全くモチベーションが上がらないのです。神社の狛犬に話しかけている気分でした。
その塾の先輩に相談した時の回答が偉く印象的でして、今でも結構細かく覚えています。
先輩曰く、「あの子たちは、褒め言葉を受け入れる為の筋肉が育ってないんだよ」というのです。
つまり、褒められて、その褒め言葉を受け入れてモチベーションを上げるにも、ある程度素地というか受け入れ態勢が必要なんだ、と。言ってみれば褒め言葉の受容筋だ、と。
「あの子たちは勉強すれば叱られるもんだと思ってるから、褒め言葉をストレートに受け取れないし、何を褒められているのかも具体的に言われないと分からないんだよ」 
褒め言葉を受け取るにも素養が必要ということだと私は思います。
引用元にある通り自己肯定感の低さというのもあるんでしょうが、
褒められる時に何がセットになっているかというのが大きい気がします。

引用した文章の最後にあるような、勉強すれば叱られるを続ければ、
勉強時に構えてしまうのと同じように、
褒められた時にセットで毎回怒られるとか、対価として何か要求されるとかが続いてしまうと、素直には受け入れづらいのではないかと思います。
いや、対価と言っても大したことではなくて、「ちょっと頼みがあるんだけど」みたいな会話が続くことってあるんじゃないかなって。
そうするとその人からすれば、褒められると頼み事がセットになってしまうような気がします。


褒め方一つとっても難しいと思いますが、引用元の結論としてはこんな感じになっています。
・褒める時は、相手に褒め言葉を許容・受容する態勢が出来ているかどうかを考える
・褒め言葉は可能な限り具体的な内容にした方が受け入れやすい
まずは自己肯定感を回復させましょうといったところかと思います。
あと個人的には、褒めることに焦点を当てて、マイナスイメージを持ちそうなことをセットにしないことも大事なんじゃないかと思います。


さてここまでは、褒める側の話をしてきましたが、
褒め言葉を受け取る側でも出来ることないかというのは考えます。
というのも私自身が受け取るっていうのがもともと苦手ではあるのですが、
少し心持ちが変わった出来事があったからです。

その出来事というのが「謙遜するのって相手の否定だよね」っていうのを見たことです。
謙遜って「いやいやまだまだです」みたいな会話になるわけですが、
これって相手の言葉を一回否定しているんですよね。
私これ見てから素直に受け止めることができるようになったと思います。

謙遜して自分を下げるのって案外躊躇しないですが、相手否定するってなったら抵抗感が自分の中で強く出たので、過度に謙遜するのやめよってなりました。

これは私が受け止めることができるようになった例なだけなので、
原因が別なら他のアプローチは必要だと思います。

褒め方のところで具体的に褒めて自己肯定感を上げるというのを書きましたが、
周りの人に具体的に褒めてとお願いするとか、
自分で具体的に褒められることを探して声に出してみるとか、
そういったアプローチがあるかと思います。

個々に事情はあると思いますし、いろいろ絡みあったりもして、
こうだ!っていう方法の答えが出しづらいところではありますが、
出来ることはあるんじゃないかと思います。



褒める・褒められるってものすごく大事だと思うのですが、
じゃあただ褒めればいいのにとならないということを書かせていただきました。
言葉を発する側も受け取る側も、心構え一つ言葉一つで相手に届くかどうか変わるのではないかと思っています。
その中で何かできることないかなということを模索しています。

褒めるというと大げさなのかもしれませんけど、
あなたの良いところはこういうところだって知っているよ純粋に思うことができるようになれば、
その上で更に相手に伝えられるようになればいいのになと思います。

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