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10月, 2018の投稿を表示しています

小さいときにやってたことが影響していること

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私が通っていた小学校では、卒業式に児童が将来の夢を壇上で発表する、 というものがありました。 あのときは「水泳選手になりたい」と言っていましたね。 2002年くらいは イアン・ソープ という選手が活躍してたりして、 スイミングスクールに通っていた身としても 憧れと他に浮かばなかったのもあって、 そういうこと言っていたと記憶しています。 今でもスポーツ歴が一番長いのは水泳で、5年間くらいやっていました。 中学校入学後、水泳部の廃部とスイミングスクールがなくなるタイミングが重なり、 それ以降パタッと水泳からは遠ざかってしまいましたが。 他には陸上部とテニス部にそれぞれ3年所属していた時期もありました。 なんだかんだ体を動かす環境にいたんだなと思います。 今でもトレーニングしようとか思ったときに、 昔の経験に基づくもんだなあと思います。 筋トレしますよと話をしたときに 参考に出来る動画とかサイトあるって聞かれたりもしたんですが、答えづらいな、と。 いやもちろん調べた時に参考にしたものは10個近くあって、 それをミックスしてトレーニングメニュー作ったりしているわけですが、 ベースそのものが学生の時のやり方なので、 どれがいいというのがわからないという状態です。 スポーツクラブに通い始めたときに最初に始めたのは水泳だし、 筋トレ始めたときにネットで調べたりしながらも、陸上部の時のやり方をある程度踏襲しました。 体に染みついたものは抜けないんだなと再認識した次第です。 昔よかったと言われていたものがダメと言われるようになったり、 ダメと言われていたものが実はよかったと言われるようになったりと、 体に染みついたものもマイナーチェンジしていけたらと思います。 << 社会人の食事会ひとつとっても固定観念ってあるものだなと思った話  |  練習の成果は3か月後と教わった >>

社会人の食事会ひとつとっても固定観念ってあるものだなと思った話

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システムの勉強会に参加していると、 そこでお会いした方から食事を共にすることがあります。 先日も仕事終わりにお会いしてきました。 相手の方が話すのは上手くまた聞くのも上手く、 楽しい時間を過ごさせていただきました。 感謝の限りです。 ただここ最近何回か食事の場をセッティングしていただいて、 固定観念が出来上がっているなあと思ったことがありました。 それは「飲みながら話すこと」です。 社会人になってから、夜に誰かと食事行くとなると、 お酒が飲める席が基本な気がします。 (もちろん飲めない人もいるし、別に飲む必要はないですが、  飲める用意だけはしていると思います) 最近お誘いいた方は定食の店とかをご用意いただいたりして、 お酒とか関係なく話も盛り上がって2時間近く楽しい時間を過ごせました。 私が場所を用意することになっていたら、 無意識にお酒とか飲める場所にしていた気がします。 向かうときにも今日どれくらい飲むかなとか思っていたので、 多分そうなっていると思います。 相手の方が勉強会で話したときに、お酒好きかどうかとかの話はしていませんが、 その時に「この人は食事だけでいいな」と覚ってくださったのかもしれません。 でもそういった固定観念に気づかせていただいたのは感謝です。 これに限らず固定観念はたくさんあって、 気づかぬうちにそれにとらわれてしまっているとは思うのですが、 外部の人と会う機会や自分で疑うことを通して、 1歩でも先に進めたらいいなと思います。 楽しいお酒と食事のライフを! << 変化と継続の両輪を回そう  |  小さいときにやってたことが影響していること >>

変化と継続の両輪を回そう

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現状維持は衰退であるとの言葉通り、 個人にしろ会社にしろどこかで新しい取り組みをしなければならない。 否応なく世間の変化の渦には巻きこまれる。 私はスマホを持つのがかなり遅かったが、 今それなしで仕事をするとなると、不便だなと感じるだろう。 世間ではスマホが当たり前になってきたからである。 ただ逆の側面として継続が大事と言われるように、 同じことを愚直に続ける必要性に迫られる場合もある。 もちろん細かな改善をし続ける必要はあるが、 一度決めたことを最後までやり続けることが大事な場面もあるというのは、 それほど違和感はないことだと思います。 何が言いたいかというと、変化と継続は両輪だということ。 変化変化と言い続けて、手当たり次第に手を出してもいけないし、 俺はこれをやり続けるんだと言って、頑なに他のことに手をださないのもよろしくない。 こんな記事がある。 やたらと変化したがる人は、なにも変われない 変化を望むあまり、新しいアイデアを耳にするたびにそれに飛びつく人の行動の軌跡は1.のようになる。(中略)ときには変化をこらえ、舵取りに慎重な2.のような人や組織のほうが、まだしも変化を成し遂げられるというものだ。 90度回って1歩進み、90度回って1歩進み、と繰り返していけば、 いずれは元の位置に戻ってしまう。 変化し続けているはずなのに、変化していない結果となってしまうのだ。 またこんな話もある。 「変化ばかりしているから、成長できないんだよ」と、その経営者は言った。 「なんとか現状を変えようと、手当たり次第に様々な作戦をうってみて、うまく行ったものだけ残す、ということをやったんだ。いわゆる、PDCAサイクルっていうやつだ。」 「結果はどうだったのですか?」 「散々だったよ。」 「なぜ、今また成長軌道に乗ったのですか?」 「変化することをやめたからだよ。」 全部読むとわかるけれど変化を否定しているわけではなく、 長期的に腰を据える必要があるものまで、 変化という名目で短期的に成果が出ていないからといって、 単純に変えてはいけないと言っているだけである(と私は解釈しました)。 2つの記事自体が2、3年前と少し前の記事ではありますが、 今でもそんなに的外れでない

習慣化する際に睡眠時間を削ってはいけない

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習慣化アプリをインストールしてから500日くらい経過しました。 ちなみに使ってるのはコチラ。 ループ習慣トラッカー 今は4つの習慣を登録していて、今日確認すると 最大のは428日連続達成になってました。 習慣を増やす際に気をつけていることとして、 いかに今確保している時間の中に組み込めるかを考えます。 そうしないと睡眠時間を削ることになるからです。 もちろん絶対に削ってはいけないというわけではないです。 特に短期決戦で何か成し遂げるとなると、 必要になることももちろんあると思います。 他にも色々と必要になることがある場合もあるはずです。 ただ、こと習慣化するという目的になれば、 長期的に続けていくことが前提になりやすいので、 そうすると体調管理も含めた習慣化を考える必要があると思っています。 なので睡眠時間の確保=健康の確保しつつ、習慣化を目指してます。 またそうしていると時間をいかに有効活用するかを考える必要があるので、 時間をどう作るか?今の習慣を効率化するか?に頭を働かせることになります。 メリットもいくつかあると思うので、 そういう考え方もあるんだなと思ってもらえると嬉しいです。 << 100×100の達成  |  変化と継続の両輪を回そう >>

100×100の達成

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今年からFacebookやらTwitterやら、いろんなSNSに手を出したり ブログという手段を使ったりして、発信してやけどしまくっていますが、 とある一つのSNSサイトで、100投稿連続で100いいねを達成しました。 100投稿100いいね自体は2週間前くらいになっていたのですが、 連続となるとなかなか達成までに差があるものだなと思います。 ちょっとした節目にはなったのではと感じます。 人によってはそれくらいで騒ぐものかというのもあると思うのですが、 自分の中ではそれなりによくいったなと思うので気にしないことにします。 1年前まではSNSってどう使うのとか言っていても(今も大して変わってないけれど) 地道に続けていれば、そこそこの数字が出てくるものだなと思います。 どうやったらそこまでいくかとかは恐れ多くて口には出せないですけど、 評価にも非連続性があるかもと思った話をしようと思います。 評価=いいね数だと仮定していくと、 評価は右肩上がりには全然なりませんでした。 最初は一桁くらいが続くなあと思っていたら、 ある日急に20いいねくらいになり、多少上下してその辺りで安定する。 ずっと横ばいだなと思っていたら、次に50くらいのいいね数がきて、 またその辺りで安定していく。 階段みたいに横ばい→急に上昇→また横ばい→・・・、 という風に伸びていきました。 こういう伸び方もあるのかっていうのを直に体験できたいい機会になりました。 数字が伸びてくると下がる恐怖も出てくるわけですが...。 やっていることの撤退のタイミングっていろいろあると思うのですが、 粘る・継続するとどう変化していくかというのを経験できたので、 これは粘るところか退くところかきちんと考えないとなあと 今回の達成で思った次第でした。 << ロールモデルは絶対に必要というわけでもないと思う  |  習慣化する際に睡眠時間を削ってはいけない >>

ロールモデルは絶対に必要というわけでもないと思う

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皆さんロールモデルはいらっしゃいますか? いるとすれば素晴らしいなと思います。 是非その縁を大切にしてほしいなと思います。 ロールモデルとは・意味|MBAのグロービス経営大学院 ロールモデルとは、具体的な行動技術や行動事例を模倣・学習する対象となる人材。 多くの人々は無意識のうちにロールモデルを選び、その影響を受けている。「○○のようになりたい」という憧れは誰しもが持った経験があるだろう。 リーダーシップ開発では、より意識的にロールモデルを選び、分析したうえで学ぶことが求められる。ロールモデルを漠然と観察するのではなく、リーダーシップに関する何らかのモデルに基づきながら観察・考察すると、学び取るポイントもより明確になる。  その上で今回の投稿はロールモデルはいなくてはいけないか、 という話をしようかと思います。    ロールモデルがいるフリーランス きっかけは、フリーランスのエンジニアの方からお話を伺ったとき。 身近にこうなりたいなと思う人がいなかった時に、 たまたま縁があった人が理想の生活をしていて、 その人みたいになりたくてフリーになりました、 と仰っていました。 聞きながら私が思い浮かべていたのが、 「この人にとって、その理想の生活をしている方はロールモデルみたいなものなのかな」 と思っていました。 ふとその時にロールモデルってどこまで必要なのだろうか? と考えてしまいました。 そして躍起になるほど必要ないのではと思いました。    ロールモデルによって得られること・懸念すること 繰り返しになりますが、ロールモデルがいることは素晴らしいと思います。 メリットとして、ロールモデルということは憧れの人のはずなので、 憧れの人がいるという事実は仕事のモチベーションになると思いますし、 将来なりたい姿が目の前にあるので、キャリアパスが描きやすい。 キャリアパスがあるということは、日々の目標も立てやすいし、 その人から学びを得ることも多くあると思います。 かなりたくさんメリットがあると思います。 しかし一方で、私が昔聞いた憧れの人に関する話で、 「憧れる限り、その人の8割くらいまでしかいけない」というのがあります。 憧れである以上その人が自分より上でなければならないと無意識に思うら

ブログでも他でもいろいろと実験していこうと思う

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昨日のブログのビュー数がものすごく伸びてビックリしました。 10/22のページビュー数が87で、そこまでいくことが最近なかったので、 何事かと今も思っています。 まったく心当たりがないのが怖いですが、ありがたい次第だなと思います。 6月をピークに7月からずっと右肩下がりではあったのですが、 10月上向きになりました。 本当にありがとうございます。 Bloggerの統計による分析だと正確に取れないみたいなのを 見かけていたのと、 セミナーをいろいろと受けた結果の勉強の一環として、 別の分析ことGoogle Analyticsで見てみました。 先週の金曜日から集計し始めたので、そんなにデータ集まってないのですが、 これが今朝見たときのデータです。 ブログを見ていただいた人数やページを開いている秒数が出てます。 細かい見方はまだわかってませんが、いずれ使えるようになったらなと思います。 そのためにも様々な方に見ていただけるものにしていこうと思います。 今年はいろいろと実験して自分の経験をあーだこーだする年にできている気がします。 ブログだって集計レポートだって、他の人もやっているので、 その人たちから学びを得ながらも、自分事に出来ることを少しずつでも 増やしたいなと思ってたりします。 まあだいたい失敗していますが...。 その辺りもいずれ書くことができれば、 そしていつか日の目を見たらいいなと思ってます。 最後に見ていただける全ての方にお礼申し上げたいと思います。 ありがとうございます。 << 図書館の魅力は古く埋もれた本に多く会えるから  |  ロールモデルは絶対に必要というわけでもないと思う >>

図書館の魅力は古く埋もれた本に多く会えるから

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公立の図書館に行くのがけっこう好きです。 学生時代は週1~2回くらいは平均で行っていた気がします。 今では毎週は行っていませんが、この週末は図書館から借りた本を読みながら、 休日を過ごしていました。 東京に来てからは5か所尋ねた記憶があります。 MAP経営近くの本町図書館はレトロな感じというか、 少し古い小学校の図書館みたいで、いるだけでも私は楽しいです。 東中野にある図書館も似たような感じなんですけど、 中野区の図書館はそんな感じなのでしょうか? 他行ったことないのでわかりませんが。 さて今回は私が図書館に行く理由を書いていこうかなと思います。 図書館に惹かれる理由は、 「古く埋もれた本に多く会えるから」だと思っています。 本屋と違って基本無料で家に期限付きで置けるからっていうのも 全くないではないです。 何より期限があるということは、 いつまでも積んで放置しているわけにはいかないので、 買ってそのままということを避けやすくなるでしょう。 ただそれよりも私的には、いろんな本に会えるのが利点だと思っています。 まず本屋みたいに平積みとかないし、 新しいものを割合多くとかがないので (多少おススメコーナーみたいなのがあったりしますが)、 売れてる本や新しい本が目立つということがなく、 古かろうが新しかろうが話題であろうがなかろうが、 平等に本を探すことが出来ます。 その中であまり読まれていないだろうなと思えるような本でも 時々自分にマッチするのがあったりすると、 すごく嬉しくなったりします。 今だとamazonでおススメの本紹介されたりして、 自分にマッチする本って出会いやすくなったとは思うのですが、 それだと似たような種類ばっかりになるので、 時々でも図書館覗いて、全く何も考えず歩き回って、 出会うというのも貴重な体験だと思ってます。 いろいろ理由上げましたが、 結局は図書館行くのが楽しいから行くっていうそれだけです。 なので上に書いた理由は、あとから振り返ったときに、 自分で感じたメリットを理由付けしてみると、 こんな感じだったよというのを書いてみただけです。 図書館行く人が少しでも増えてくれるといいなと思います。 << 【読書日記】うつ病九段 プロ棋士が将棋を失く

【読書日記】うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間

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題名: うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 著者:先崎 学 【概要】 空前の藤井フィーバーに沸く将棋界、 突然の休場を余儀なくされた羽生世代の棋士。 うつ病回復末期の〝患者〟がリハビリを兼ねて綴った世にも珍しい手記 ◎うつ病の頭には死のイメージが駆け巡るのだ。◎ 「うつ病の朝の辛さは筆舌に尽くしがたい。 あなたが考えている最高にどんよりした気分の10倍と思っていいだろう。 まず、ベットから起きあがるのに最短でも10分はかかる。ひどい時には30分。その間、体全体が重く、だるく、頭の中は真っ暗である。 仕方がないのでソファに横になるが、もう眠ることはできない。ただじっと横になっているだけである。 頭の中には、人間が考える最も暗いこと、そう、死のイメージが駆け巡る。 私の場合、高い所から飛び降りるとか、電車に飛び込むなどのイメージがよく浮かんだ。 つまるところ、うつ病とは死にたがる病気であるという。まさにその通りであった」 うつ病はきっと誰でもかかる可能性がある病気なのだと思う。 極端なのかわからないけれど、ウイルス性の風邪みたいに、 かかる時はかかるし、かからないときはかからない。 心身が弱っている時にかかりやすくはあるかもしれないけれど、 健康体であってもかかる可能性だってある。 そんなものだと思う。 そんなことを考えていると、こんな記事を読む機会がありました。 プロ棋士先崎学さんの「うつ病九段」は、絶対に読んだほうがいい。誰もがうつになる可能性があるのだから。    うつ病に罹る過程がなかった うつ病ってどういう風になるのかと思っていましたが、 この本によれば、ある日突然なったらしい。 朝起きたら急に今までと違う感じがしたとのこと。 こんな風に就寝前にいかに体調が良かったとしても、 朝目が覚めたらなっている可能性だってあるのだ。 事前に察知できることばかりでないことは肝に銘じていたほうがいいように思う。 そんな突然かかる病気は、半年以上の治療期間を必要とするのである。    心持ちがどう変わっていくかの描写がリアル 治療の過程の描写はそんなになく、どちらかというと 最悪期、回復期にどう心持が変わっていくかという 描写の方が多く、それ故に自分もいざうつにな

わかりやすく表現する技術の勉強会に参加してきました(後編)

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( 前編はコチラ ) 前編では「イラストでわかりやすく表現する技術」というテーマの エンジニアの勉強会に参加したことを書きました。 学びとして以下のことを書きました ・つまづいたことを感情とセットでメモする ・正確フェーズとまるめるフェーズで答える ・表現する(図解の基本形のイロハ) そしてもう一つ最後にあるのが発信することです。 ツイッターやブログで発信してみましょうということで、 勉強会内で実際に私が書いてみたイラストを紹介してみます。 ちなみにお題は「べき等性」でしたが、皆さんはご存知ですか? 私はこの時初めて聞きました。 ご存知の方はぼんやりとでも伝わるか、 ご存知ない方は後の答え合わせで伝わったか 見ていただければと思います。 それではどうぞ! あと いらすとやさん のいらすと作って表現するのでもいいよと言われたので、 後日同じのを作り直してみたのがコチラ。 それでは、「べき等性」とは何か。 「ある操作を1回行っても複数回行っても結果が同じであること」( wikipedia ) イラストのイメージとしては、ボタン3回押しても全部飴、 というような感じで書きました。 さてどこまで伝わっているものでしょうか? 教えていただいた内容を元に伝え方が、もっとうまくなればと思います。 << わかりやすく表現する技術の勉強会に参加してきました(前編)  |  【読書日記】うつ病九段 プロ棋士が将棋を失くした一年間 >>

わかりやすく表現する技術の勉強会に参加してきました(前編)

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「イラストでわかりやすく表現する技術」というテーマの エンジニアの勉強会に参加してきました。 講師の方は数冊本もだされているフリーランスの Webデザイナーの湊川あいさん(HPは こちら )で この勉強会の参加にあたって始めて知りました。 当日本も持ってこられてたので、購入させていただき、 名刺をいただきました。 著者の方から直接買う経験って滅多にないので、 ちょっと得した気分です。 買った本はこちら。 他にもマンガでわかる〇〇シリーズで本を3冊ほど出されています。 すごいなあと思ったのは、こういうマンガでわかるシリーズは 内容を考える人とマンガを書く人別れているそうなのですが、 どちらも一人でできるというところに強みがあるそうです。 技術的なことも色々とお話させていただきました。 本筋の内容についてはこれから取り組んでいこうと思うのですが、 ・つまづいたことを感情とセットでメモする ・正確フェーズとまるめるフェーズで答える ・表現する(図解の基本形のイロハ) ざっくりと言えばこんなところのお話を聞かせていただいました。 全てを理解できているわけではないですが、 少しずつ体得していければと思います。 その勉強会内で実際にイラストを作成する時間があったので、 それに関しては後編で書いていきます。 << 心底行きたくない、でも行かないと後悔することがわかっているとき  |  わかりやすく表現する技術の勉強会に参加してきました(後編) >>

心底行きたくない、でも行かないと後悔することがわかっているとき

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心底行きたくない、でも行かないと後悔することがわかっているときというのを、 久方ぶりか初めて最近体験しました。 後悔するのがわかっているので選択肢は行く以外はないのですが。 セミナーや勉強会に参加するときに、学びたい内容が目白押しで、 是非行きたい、行かないと後悔する。 ただ一方で、一部やりたくないなあというような 内容が含まれていて、その内容が本当に嫌だなと思ってしまい、 行きたくない気持ちでいっぱいでした。 こういうときってどうするのが、気兼ねなく参加できるようになるのかなと ふと考えてみました。 今回の私の場合、 後悔するのがわかりきっている=マイナスのイメージが強い状態だったので、 人は得よりも損の方が敏感に反応するというのもきっとあって 到着まで嫌だ嫌だと心の中で思いながらも参加することが出来ました。 行きたくない<行かない場合の後悔になっているといいわけで、 じゃあどんな後悔があるか具体的に思い浮かべることができれば、 後ろ向きながらも参加できます。 また嫌な内容を乗り越えれば、どういうメリットがあるかというのを、 更に具体的に思い浮かべられれば、参加への障害はほとんどなくなります。 あと私は試してないのですが、嫌なことを紙に書くと 脳が覚えていく必要ないと思って、頭の中から出ていくみたいです。 ( 悩みの緩め方と理由 ) 最初の1歩を踏み出すのはなんでも躊躇してしまいますが、 どんな葛藤があろうと踏み出した人しか見えないものがきっとあります。 回りくどいマネをすることもあるかもしれませんが、 それでも多くの人が1歩踏み出せることを願っています。 << 自分が考える優れたリーダーに思うこと  |  わかりやすく表現する技術の勉強会に参加してきました(前編) >>

自分が考える優れたリーダーに思うこと

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今年参加した研修で、 「優れているリーダーだと思う著名人を3人挙げる」という課題がありました。 改めて考えてみるという意味を込めて、ちょっとまとめてみます。 特に啓蒙する意図もないので、軽い気持ちで読んでください。    仰木彬 プロ野球選手・監督、かのメジャーリーガーのイチローが日本野球のオリックスにいた時代の監督。 イチローが「唯一人の師匠」と言うほどの人物。( イチローとの関係:Wikipedia ) 私が中学生の頃くらいに聞いたエピソードが未だに忘れられず、リーダーを浮かべてくださいと言われたときに真っ先に浮かびました。 イチローが二軍でプレイしていて、振り子打法という独特の打法でプレイしていた。 その打法を変えないと試合に出させないと言われ、悩んでいたところに、仰木監督が就任し、才覚を見抜き、一軍に抜擢したというエピソードです。 一言で言えば、特徴を見抜き、活躍の場を与えただけではあるのですが、これがなかなか難しい。 そこをやってのけるのがとても素晴らしいと感じています。    本田宗一郎 「会社のためでなく、自分のために働け」と言ったという話が好きで、しかもその上であれだけの会社、ホンダを作りあげたのがものすごい。 大学時代のあるときに、きっかけは忘れたけれど、人のために何か行動することを、今後一切やめようと思ったときがあった。 理由は、「あなたのためにやって(言って)あげたのに」をなくすためである。 助言なり行動するのは、自分が相手に幸せになってほしいからであって、それは相手のためではなく自分のためにしていることのはずである。 だから人のためっていうのにものすごく違和感を感じたし、 しかもあなたのためと言ってしまうと、見返りを求めやすくなるのが、かなり嫌でもあった。 なので、人のためというのはやめて、単純に目の前の人に幸せになってほしい。 そのためにすることは全て自分が勝手にやっていることだから、見返りは求めないよ、というのをずっと思ってきた。 その辺りでは、この話にもものすごく共感できる。 「できる人」「出世する人」「会社を大きくする人」のちがいとは。 「滅私奉公なんて、無用の長物ですよ。欲望や私的な目標がない人が、会社に貢献できるわけがない。」 「まずね、自分の欲や目標がきちん

エンジニアの方々のご活躍を願って

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休日にエンジニアのキャリアについてお話を聞ける機会がありました。 私のようにPCのアプリの開発に携わる方もいれば、 工場の設備機械のシステムを作る方もいる。 また外部のお客様向けにシステムを作っている方もいれば、 社内システムに携わっている方もいました。 年齢も様々でいろんな方とお話できて、 共感できる部分もあり、違いに驚く部分もありの大変いい機会になりました。 登壇してくださった方の話もさることながら、同じ職種の方と交流できたいい機会でした。 登壇者の話を書いていこうと思いますが、中でも一番心に残ったのは、 「自分は技術×人脈で突き抜けた。ここでいう技術はシステムを作れるということではなくて、どういった技術があるとか、最新技術にアンテナ張っているとかいうこと。そして私は人脈を作る手間を惜しまない」という話です。 最新の技術を掘り下げて語れなくても、そういうのがあることは知っているとか、 開発現場について詳しくわからなくても、ある程度情報が入ってくる位置にいるとか。 そういうのと掛け合わせるものがあると、キャリアの面積広がって さて登壇者が語ってくださったことの中からできるだけ意図を外さないよう意識しながら、関心があった部分を3点書き出してみます。 少し長いですが、よろしければお付き合いください。    1.希少 日本の労働人口から見るとエンジニアは0.3%しかいないとのこと。 また現在の求人倍率(一人当たりにどれくらい仕事があるかを示す指標)は、8倍。 つまり一人のエンジニアに8個の仕事がある計算になります。 登壇者曰く日本で一番倍率が高い職種らしい。 またビジネスで成功する要因として、 「成長市場」「競合が少ない」「参入障壁が高い」というのを例として出しておられて、 エンジニアはここに当てはまってますよ、とのこと。 この希少さを自覚していないエンジニアの人が多いのが登壇者の最近衝撃を受けたことのようです。    2.お金 人は年収がどれくらいまであがれば幸福になるかという研究があります。 これによると年収7万5000ドルを超えると、そこからいくら年収が増えても幸福度は増えないそうです( 参考文献 ) 為替や日本の物価にもよるそうなのですが、登壇者によれば600万円がボーダーではないかとのこと(

趣味と習慣の境目ってどこだろう

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ふと趣味と習慣って何が違うのだろうと思うことがありました。 きっかけは「筋トレが趣味なんですね」と言われたとき。 個人的に趣味という感覚がなく、毎日やるものくらいの感じなので、歯を磨くと同じくらいの感覚だったりします。 習慣という言葉が一番しっくりきていましたが、外から見たらそう見えるのか、と思うとそもそも違いって何なのだろうと思い調べてみました。 習慣の意味をWikipediaから。 日常の決まりきった行いのこと。長い間そうすることによって、そうすることがあたかもきまりのようになったこと 次に趣味の意味を同じくWikipediaから。 人間が自由時間に、好んで習慣的に繰り返しおこなう行為、事柄やその対象のこと。  趣味の中に”習慣”という言葉入ってますね。 上の意味だけを抜き取ると、習慣は決まりだからやる、趣味は好んでやる、といったところになるのでしょうか? 私はいまいちピンときませんが、皆さんいかがでしょうか? 私が思うに習慣って約束ごとじゃないかなと思います。 自分の経験から言って、自分とにしろ他人とにしろ続けますよっていう宣言とか約束のもと始まるのが習慣というほうがしっくりきます。 ブログも筋トレも毎日やるぞっていう自分との約束でしたし。 約束だから習慣ってできなかったとき罪悪感がかなりあったりします。 そういう点でいうと趣味はやりたいときにやるみたいな感覚なので、 罪悪感は薄い気がします。 趣味の場合は逆に没頭しすぎて時間が過ぎ、他にすることあったのに、みたいな感覚の方が強いかもしれません。 前者はやらなくて、後者はやりすぎて後悔するという側面がある以上、やっぱり別物なのかなと、私は思ったりします。 そうすると習慣と趣味が行き来することあるのかなと考えるのですが、 習慣が趣味化するとかなりきつかった経験があります。 好きでやりたいのにやることが義務化してきてイライラすることがあります。 例えば本を読むことを習慣にしたら、読むのがめっちゃ楽しくなってきた。 最初の内は、他の人から読めよと言われても違和感なかったのが、 言われると好きに読ませてくれよ、と思うようになってきた。 そうするとただ習慣だからやるっていうことに、好きなことが縛られていることに多大なストレスを感じるようになってくる。 こ

Aが好きだからBも好きなはずという一括りはしたくない

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「本屋が好きっていう人ほど本読んでいない」と言う人がいて、 それに対して資格も知識も要求する必要がないと反論する人がいる。 ( 「好き」って口に出して言う人ほど… ) 私も何となく好きっていうだけで応援したいし、 それが同じジャンルならもっと好きになってほしいし、 そのぼんやりさを寧ろ語り合いたいと思う。 好きになり始めた人を昔から好きな人が認めなかったら、そのジャンルは新しい人がいなくなるから衰退まっしぐらというのもありますが、 単純に自分の気づいていないところに気づかせてくれる可能性も高く、私がそのジャンルをさらに好きになることもあるので、かなり楽しいと思ってます。 まあここまではリンク先にも似たようなことが書いてあるので、これくらいにして、 今回私が書こうと思うのは、好きっていうのを一括りにしすぎじゃないかと思ったことについてです。 どういうことかというと、先の話で言うと「本屋が好きなこと」と「本を読むのが好きなこと」って全く別次元の話だと私は思ってます。 本屋が好きな人は本がたくさんあるあの空間が好きなだけで、読むことそのものはそうでもないかもしれないじゃないですか。 新品の本のにおいが好きとか、ページめくる音が好きという理由で本屋が好き、でも本は読まない、というような人がいてもおかしくないと思うわけです。 もちろん確率的には「本屋が好きなこと」=「本を読むのが好きなこと」になりやすいとは思います。 でもそこに因果関係はなく、そしてイコールでないことを否定すべきではない。 そして「本屋が好きなこと」=「本を読むのが好きなこと」決めつけて話をしない。 今回は本屋と本の関係性で話を書いてきましたが、他のことも一緒だと思います。 Aが好きならBも好きなはずだというのは決めつけず、 好きというのに知識など必要とせず、 何が好きか理由が漠然とでも良いので発信する話で溢れる世界になったら良いのになと思います。 << 同じことをしていると決めつけないようにしたいと思う  | 趣味と習慣の境目ってどこだろう >>

同じことをしていると決めつけないようにしたいと思う

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今日2度目の更新、お付き合いいただける方に本当に感謝しています。 最近、2か月くらい会っていなかった知人に会う機会がありました。 お互い時間がない中だったので、15分くらい話して解散したのですが、 知人が別れ際に「今日休日だしゲーム楽しんでね」と言って帰っていった。 ただ私自身は半年くらい家でまともにゲームをした記憶もなければ、 知人にゲームの話をした記憶もありません。 知人と最初に知り合ったときには、かなりゲームの話もしたし、しばらくはそれなりに話をしていたと思います。 その頃の印象が残っていてきっとその話をしてくれたのだと思うのですが、 その時に感じたのが「いつまでも変わらないと思われてるのかな?」ということです。 数年も経てば休日にやることも変わっているし、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よではないですが、たった2ヶ月でもしていることが変わることだってあります。 したいこともできることも変わっていく中で、「アナタがやっていることはこうだよね」という決めつけはどうなんだろうと思った次第です。 他人の変化っていうのは気を付けていないと気づけないものなんだなっていうことに気づかせてもらいました。 人からされるってことはきっと自分も誰かにしているということでしょうし、 気づく機会をもらったと思えば、むしろラッキーと思えるものでしょう。 さて反省しながら今日も生きていくとしましょう! << 【感謝】ブログを見てくださる全ての方へ  |   Aが好きだからBも好きなはずという一括りはしたくない >>

【感謝】ブログを見てくださる全ての方へ

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唐突に何言っているんだという感じですが、タイトルで全て完結しています。 本当にありがとうございます。 さっきこのブログのトラフィック(どこからこのブログに来たか)を見ていたのですが、 この1週間は直接アクセスが100%を占めていて、物思いにふけっていました。 今まではFacebookだったり、会社のHPだったり、先輩方のブログからアクセスがあったりと、他のところから飛んできましたというのが多数でした。 ただその場合何となく来てるだけなのか、見たいと思って来てくださっているのかわからない状態です。 でも直接アクセスがあるということは、少なくとも見たいと思って来てくださる方が多く占めているのではと勝手に解釈できるので、モチベーション上がったのも事実です。 まあどこから来ていただいても見てくださるだけで、もの凄くモチベーションにはつながっています。ありがとうございます。 私の持論の1つに、 「見られない名作より、見られる駄作」というのがあって、 どれだけ凄いものであろうと誰の目にも触れられないものよりは、 どれだけしょぼくても一人以上の目に触れられたものの方が価値があると思っています。 なのであまりいい文章を書くことを意識するよりも、格好悪くても量出して少しでも誰かの目に触れてもらえればなと思っています。 そんなこんなでここまで来ていますが、これからもよろしければお付き合いいただければと思います。 ではくどいかもしれませんが改めて感謝の念を皆さんに送りながら、締めたいと思います。 ありがとうございます! << 相手目線に立つというのはこれほどまでに難しいのか  |  同じことをしていると決めつけないようにしたいと思う >>

相手目線に立つというのはこれほどまでに難しいのか

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相手の立場に立つことが難しいと感じた、 北海道で地震があった時の話を書こうと思います。 北海道胆振東部地震(ほっかいどういぶりとうぶじしん)、2018年9月6日3時7分に起きた地震で、日本では知らない人の方が少ないのではないかと思います。 私がSNSで時折話をする方で北海道在住の方がいて、この方も被害に遭いました。 仮にこの方をPさんとします。 積極的に現地の状況なども発信されていらっしゃいました。 地震発生から1週間くらい経過したある日、その方が公開投稿で 「応援メッセージが少なくて残念」というような投稿をされました。 その投稿に対して、ある方が「メッセージ送れず申し訳ありません」とコメントしたら、 「相手の立場に立って考えたらそれくらいして当然です」というような返信をされていました。 私の解釈が入っていますし、まったく別の意図で発信しているかもしれません。 ただこのメッセージは私にはぐさりと刺さりました。 すでに頑張っている人に頑張ってと言ってはいけないというように、 普段通りに振る舞っているのが良いという私の判断でしたが、 Pさんにとってはそれが好ましくなかったようです。 この出来事があってから、相手の立場に立って行動する、というのの難しさを感じています。 もしかしたらPさんだけで他の人はそんなこと思っていないかもしれないし、 実は大多数の人も同じように思っているかもしれない。 そんなことを今でも時々考えます。 皆さんだったらどう行動するか聞かせてくださると大変ありがたいです。 余談ですが、地震の時に物資や直接訪問して、支援したいという話もありますが、 ある調査によれば、そんなものより一番ほしいのは法律相談なのだそうです。 ( こちら の文章を拝借しました) 本当に相手の立場を考えると、支援したいものではなく、支援されたいものをきちんと考えないと押し付けになる例だと思います。 本当に望むものは何かと自分が出来ることは何かを考えて、 今後行動していけたらと思います。 << 同じことを続けても新しく発見があったりするから嬉しい  |  【感謝】ブログを見てくださる全ての方へ >>

同じことを続けても新しく発見があったりするから嬉しい

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先週1年ぶりに体重を計りました。 家に体重計がないので、社員旅行先の旅館で久しぶりに計って見ると、5Kg体重が増えていました。 事実として受け止めながら今後もトレーニング続けていこうと思います。 ところでそのトレーニングが今日、10/5で400日目みたいです。 朝、習慣アプリを確認していたら気づきました。 400日記念で何か感情湧き上がるかなと思ったりもしましたが、 丸1年を超えるとその辺りがだいぶ薄れてきますね。 まあでも400日も一日も休まず実行できた自分は褒めてあげてもいいかなと思います。 最近筋トレした後にランニングをすることもあるのですが、ふと思ったことがあって、 「筋トレしてから走り始めると意外にラクかも」ということです。 理由はわからないですけど、筋肉があったまっているからなのか、 走り始めがものすごくラクな気がします。 ある程度走ると筋トレで酷使したところから動かなくなってきますけど。 そんなことに気づいたので明文化してみました。 400日やっても新たな発見があるのは、なんか嬉しくなります。 これからもゆるく続けていけたらと思います。 << 【読書日記】「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) |  相手目線に立つというのはこれほどまでに難しいのか >>

【読書日記】「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ)

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題名: 「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) 著者:汐街コナ  (著), ゆうきゆう (監修) 【概要】 仕事に追われるすべての人へ。 その仕事、自分の命より大切ですか? 精神科医・ゆうきゆう(『マンガで分かる心療内科』シリーズ)が監修・執筆を担当し、 過労死・過労自殺する人が「死ぬくらいなら辞めれば」ができない理由をわかりやすく解説しながら、 仕事や会社に追いつめられている人がどのようにすればその状態から抜け出し、 自分の人生を大切にするための方法と考え方を描きおろしました。 また、過労やうつ状態から抜け出して幸せになった人を取材して描きおろした「実録! ブラックな状況を抜け出しました」も収録。 もうあのような過労自殺の事件を繰り返したくない。 現代日本で働くすべての人に必読の1冊です。 書籍が発売される前、Twitterに公表された時に漫画を読ませていただいて、書籍が発売された時にすぐに買いました。 発売から1年くらい経過しましたが、ちょっと振り返ってみようと思います。    死の恐怖を克服した先に死を選択することがあるとは限らない 周りからどう見てもそれやったら死ぬだろうという行動でも、本人は死ぬつもりなくその行動を起こすということが書いています。 書籍の中に電車に飛び込もうとしているシーンがあるのですが、その動機は、 「死にたい」ではなく「明日会社に行かなくていい」です。 よく死ぬ勇気があれば何でもできるんじゃないのみたいな話がありますが、勇気とは別のベクトルとして動機があるというのが私の解釈です。 だからこそ未遂の人にかける言葉は選ぶ必要があると思いますし、場合によっては素人が手を出すべきではないのでしょう。    迂回して夢が叶うこともある 著者の人はイラストやデザイン系の仕事に就きたくて最初の会社に入り、できなくなって長い年月が経過したけれど、本を出すにあたって、漫画を書くことができて少し夢が叶ったと言っています。 どうすれば夢が叶うかなんて私にはわかりません。 だから辛かったら逃げろという気は無いですし、限界まで努力してみようという気も全くありません。 自分の人生が一番大事なんてみんなわかっているからです。 ある大学の教授は、大事なのはわかっているから、大

スランプが怖いのは戻ることもできなくなるから

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「 成長には、スランプが必須という話。 」という記事を少し前に読んだ。 その中にこんな記述がある。 新しい技能、コンセプトにふれ、自分の目が肥えてくると、今まで作っていたものよりも一段上のものが見えるようになる。 だが、技術は追いついていないので、それを現実に手を動かして作ろうとすると、ギャップが生まれ、手が止まる。 これがスランプの正体だ。 新しい技能、コンセプトに触れるということは、新しい領域へのチャレンジを含んでいる。 だからチャレンジはすべてスランプになる可能性を秘めている。 そしてスランプは怖い。そんな話をしようと思う。 小中高と運動部に所属したりして感じるのは、 うまくなりたいと思った場合、手っ取り早い1つの方法は、上手な人のマネをすることだと思います。 人マネだから当然にうまくいかないことが多い、でもやる、そのうちにそれが出来るようになれば、一段階上に行くことが出来る。 でも人によっては合わない場合だってあるし、それが3つも4つも上でまだ早い場合もあって、断念せざるを得ないときがある。 そして経験上このときがある意味一番厄介なことになる場合が多い。 上で紹介された記事の中にブロガーの方の体験談があるが、これと同じで、前やっていたやり方がわからなくなるケースがある。 つまり以前に自分が一番適していたやり方に戻せなくなるということである。 この状態は本当につらい。時間が解決してくれるような気もするし、ただひたすら量をこなすだけの状態にもっていくほうが解決できる気もする。 ただきっとこの状態は、新しいものと古いものが不協和音を起こしてうまく体が消化できていないのが原因ではと、私なんかは勝手に思っています。 そうすると両方をうまく融合させるには、やはり行動を起こし続けるしかないのではと思います。 どなたかこの辺りうまく説明できる方いらっしゃいましたら教えてください。 << 当たり前に感謝する  |  【読書日記】「死ぬくらいなら会社辞めれば」ができない理由(ワケ) >>

当たり前に感謝する

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週末の台風24号すごかったですが、皆さん大丈夫でしたでしょうか? 私の家の近くの公園では、葉っぱや枝が散乱し、さらに木が1本根本から折れて倒れていました。 自然災害はやはり侮れないと感じます。 通勤するときにその公園を通るのですが、昨日の月曜日は足の踏み場もないくらい葉っぱや枝が敷き詰められていました。 ところが今日の朝、公園を見てみると多少葉っぱが残っているものの、かなり綺麗になっています。 そして掃除をされている方の姿が見えます。 きっとその方達が今日もしくは昨日も掃除して綺麗にしてくれたんだなと思いました。 普段から公園を綺麗に使うことが出来るのはこう言った方々がいてくれるおかげなんだと改めて感じました。 公園が綺麗に使えることを当たり前と思わず、当たり前を当たり前としないで感謝しないでいこうと思わせてくれる出来事でした。 MAP経営では、朝気づいた人が掃除の準備をします。 私が出勤したときにはすでに準備が終わっていることも多いですが、これだって当たり前ではなく、誰かが行動してくれたから準備されているわけです。 きちんとこういった部分に感謝し、そして自分も行動する側になるようにしていかなければと思います。 << 家族旅行  |  スランプが怖いのは戻ることもできなくなるから >>

家族旅行

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9月末の2日を利用して、会社の旅行に参加させていただきました。 企画してくださった方が、いろいろと知恵をしぼっていただいたので、かなり楽しませていただきました。 私自身があまり外出しないのと、家族も外で泊まりが好きではなかったので、旅行という旅行はほとんどしたことがありません。 毎年なぜか滝を見に行っていましたが、それが家族で遠出する少ない機会だったんじゃないかなと思います。 そんな家でしたが珍しく別の場所に遠出することがあってせっかく思いついたので、書いてみることにします。先に言いますが結論はありません。 小学生高学年のときだったと記憶していますが、父親が急遽広島に行くぞと言い出しました。 そのとき住んでいた大阪から車を出して「行くぞ」となったわけです。 夜に家を出て高速道路で夜を越え、朝に広島到着というよくわからないツアーと相成りました。 そして朝から原爆ドームに記念資料館、昼にお好み焼きを食べて、そのまま大阪へ。 しかも広島で食べるはなぜか大阪風のお好み焼き。 寄る店寄る店なぜか地元広島のお好み焼きを出しているところがなくて、旅行先で地元名物を食べるというまさかの展開。 それも含めて思い出です。 親の想いとしては、原爆ドームや資料館に行って感じ取ってほしいものがあったようです。 そういった意味では、親に恵まれているなと感じる一つの出来事だったような気がします。 そんな事を社員旅行を通して思い出していました。 << 三国駅  | 当たり前に感謝する >>