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三国駅

今日以下のニュースが流れてきました。 1時間に57分間も 「開かずの踏切」廃止へ 大阪 東淀川駅付近 地元にあったものがなくなっていくのは寂しいですが、安全と利便性を考えると、変わっていくのは仕方ないかなと思います。 さて、地元の駅の一つが開かずの踏切で有名ならば、 もう一つ有名どころの駅が”三国駅”。 シンガーソングライターのaikoがこの駅とその周辺をモチーフにした曲として、 まんま”三国駅”という曲がある。 (調べてみるとwikipediaに記事がありました: 三国駅 (aikoの曲) ) 歌詞に出てくるボーリング場とか、「あの場所だよな~」とか思いながら、聴くことが出来て個人的には面白いです。 三国駅のあの辺りに少しでもご縁がある方に聴いていただけたらなというお話でした。 (youtubeにショートバージョンがあったのでよろしければ: https://www.youtube.com/watch?v=fdP9DqRT9i8 ) << 入口は小さな目標のほうが良いには賛成するけど勘違いしてはいけない  | 家族旅行 >>

入口は小さな目標のほうが良いには賛成するけど勘違いしてはいけない

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おととい、夜の日課として筋トレしてランニングしてました。 その最中に目標設定の仕方を考えてて、ふと思ったのが、 ということです。 1年以上のトレーニングを習慣化できた体験から考えを書いてみることにします。 まず私の考えとして、継続が必要となる成果への目標設定の入口は、 目標そのものを低くしておくべきだということです。 これはまず行動に移すのが大事だと思っているので、この最初の行動を阻害しないために、低くするべきだと考えています。 (その辺りは、 小さな習慣 などの本から影響を受けています。) 逆に短期決戦型の目標には入口の目標低くは向いていないと思っています。 継続なんて言っている場合ではないからです。 ただ私が思うに、先に述べた低い目標、小さな目標の設定の仕方について、間違いが多いような気がしています。 例えばですが、ある社会人の方が、まだ全然練習していないけれど1年後に100m走を15秒で走れるようになりたい。 今はだいたい30秒くらいだとしたら、小さい目標をどう設定するべきと考えるか、です。 小さいっていうくらいだから、「まずは29秒目指すか」ってなるような気もするのですが、私はこの設定は懐疑的です。 まず考えるべきは練習を継続できるか、です。 走ることそのものを継続できないか限りは、数値の目標は夢のまた夢です。 練習の継続が身についてから初めてフォームの研究など他に目を向ければいいと思います。 一日いくら走るという目標を立てる、そしてその時に小さな目標として、まずは無理なく走れる目標にするというのが、入口の小さな目標の大事な点だと私は思います。 なので上の例でいくと、「毎日最低100m1本だけ走る」とか「必ず練習用の服にだけは着替える」とか、むしろそれくらいできないとヤバいくらいのレベルで小さな目標設定していくのが、いいのではないかなと思います。 よくビジネスで言われる言葉でいうなら、アクションプランを立てましょうという話になるかもしれません。 100mのタイムは成果目標、アクションプランは行動目標と言った感じでしょうか。 まずは小さなところから始め大きく育てていきましょう。 そのためには良いスタートダッシュを切るということを、実践していこうと思います。 << 栄養の桶理論と組織のセキ...

栄養の桶理論と組織のセキュリティの共通点

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桶の理論ってご存知でしょうか? 中学校か高校の家庭科で習ったと記憶しているんですが、 タンパク質を体に吸収するときの理論です。 数種あるアミノ酸の内、1個だけ30g取得して、他100g取得しても、 全部30gしか吸収できず、あふれた70gは全く吸収できないという理論です。(下画像参照) ( 出典:アミノ酸の「桶の理論」 ) 昨日社内でセキュリティの勉強会があったのですが、 ふと組織のセキュリティも同じだなと思いました。 セキュリティは100人組織の99人が100点満点のセキュリティレベルを持っていても、 1人が30点しかないと、組織としては30点レベルしかないも同然です。 上の図のようにその一角から全部漏れ出てしまうからです。 セキュリティはいわゆる防御です。 防御というのはどこか一点が脆いとそこを突かれてしまいます。 それゆえ防御は大変で、大事になってきます。例え直接生産に関わる部分が少ないとしても。 戦国時代の国の防衛も同じだと思います。 防御を強くしても領土は増えませんが、そこを怠っているとあっという間に、領土が減り、滅ぼされてしまいます。 自分たちの領土を守るために、防御=セキュリティを大事にしたいものです。 << 下手だと添えることが結構デメリットだと思った話  | 入口は小さな目標のほうが良いには賛成するけど勘違いしてはいけない >>

下手だと添えることが結構デメリットだと思った話

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SNSに限らずネット上にはたくさんの作品があふれています。 写真・絵・イラスト・小説・ブログ・記事etc... 文章系のものから、視覚に直接訴えかけるようなものまで様々です。 そのときに「下手ですが・・・」とかそれに似た言葉をつけて公開されている方を時々みかけるのですが、それを見た途端に違和感を感じるようになってきたんですよね。 何でかなと考えていたら、私が思うには「いいね」って言いづらいなと感じていたからだとわかりました。 下手って言っている人に、「そうだね」と言えばいいのか、 「いや上手いよ」と返すべきなのか、どちらがベストなのか。 肯定するのも気が引けるし、否定するのはエネルギー使うし。 親しければそういった距離感もわかるんでしょうけど、 そんなもの気にせず直感的にいいと思ったのはいいと言いたい。 もちろん構ってほしくて、あえて下手って言っている人がいないわけではないとは思います。 しかし、ネット上の文章だけで判断するのは至難の業なので、そこを悩むくらいなら、その投稿ごとスルーしてしまおうと判断してしまいます。 あとは防衛線でしょうか?こう言っておけば、あとから言われても傷つかないみたいな。 間違っているとも思いませんし、批判からの防衛と言われれば止めることもしたいとは思わないのですが、ただ褒めようとする人の防御にもなっているかもしれないという可能性は頭に入れておいてもいいかと思います。 だから構ってほしいからって思うのであれば、「コメントください」くらいでいいんじゃないですかね。 アドバイス欲しいとかいいねがほしいとかじゃなくて、純粋にコメントほしいなっていう感じで。 コメントからやり取りがあって何かに発展したら面白いと思うんですけどね。 結論としては、自分や自分の作品を下に見るのは自由だけど、 発信するときはあんまり得策ではないんじゃないかなって思います。 ポジティブな感じでやれとは思いませんが、 負のオーラまとっている人には近づかないのは、ネットでも現実でも同じかなというのが結論でした。 << 投稿100個目から振り返ってみた  |  栄養の桶理論と組織のセキュリティの共通点 >>

投稿100個目から振り返ってみた

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いつもご覧いただきありがとうございます。 ブログ初投稿からこの投稿で100個目になります。 いやはやよくも続いたなと自分では思います。 見ていただいて本当にありがとうございます。 一つの目的はあれど統一したテーマもなく、 好き勝手にいろんなことを書いては、 仕事のことやシステムのことについてもっと書いた方がいいのかと思う日々でしたが、 楽しみながら続けることができたのは一つの成果なのではと思います。 せっかくの100投稿目なので、ブログ初めてから今までで感じたことでも記していこうかと思います。 ネットでいろいろと発信していると、能力と成果は比例しないんだなとふと思ったりもします。 こういうブログの文章にしろ、写真とかにしろ、 あ、この人すごいなと一発でわかるのがあると思うのですが、 いいね数とか閲覧数とか見たときに私より下だったりすると、 なんとも言えない気持ちになります。 そんなときに応援の意味合いも込めたりしながらいいねしたりシェアしたりするわけですが。 人って承認してほしいのかなと思いますし、何より私自身がこういった発信を通じて、 承認欲求強いなと感じました。 見てくれると嬉しいし、見られないとへこむみたいな。 だからこそ好きは伝える、応援は届けるという風にあってほしいなと思っています。 関係する話かはわかりませんが、こんな話だってあります。 ある売れないアイドルの人が引退宣言をしたら、 「才能があるのだからもっと続けるべき」とか「ファンだったのに」とか言われ、 「もっと早くに言ってほしかった」と返す。 そうすれば引退しなかったのにというお話。 私が遭遇した話でもないので詳細はよくわかりませんが、こんな状態は見たくないです。 私自身の話で言うと、絵をずっと投稿している方にいいですねと言い続けたら、 いつも応援ありがとうございます、って絵描いてくださったこともあって、感動しました。 なので言ったところでメリットあってもデメリットないと思いますし、言われた方は活動の原動力になるしで、Win-Winだと思います。 このブログでだってそんなものを生み出せたらいいなって思います。 他に心境の変化としては正直そんなになかったのではないかと思います。 書くの大変だなとか毎日更新するの大変だなとか思うこ...

根拠や理由なんてものがなくても生きる世界でありたいと思う

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私は本、特に小説を読むのが好きだ。 理由は後付けしていけばいろいろあるし、語ることもできるけれど、 突き詰めれば、読んでいてわくわくすることが多いからということになる気がする。 かといって流行りの本をそんなに知っているわけでもないし、 最新情報をいちいちチェックしたりはしません。 ちょっと話は逸れますが、好きというのに 最近見た話だと、こんな話。 「陶器が好き?自分で焼いたりすんの?と彼は言った。」 「いや全然」 「ブランド集めたりすんの?アウガルテンとか、カルパネリとか。」 「いや全く。ブランドは殆ど、知らん。陶磁器の知識とか、殆どない。ただ綺麗な陶器を探したり見るのが好きなんだ。」 「いや、好きっていうならもうちょっと詳しくなるもんなんじゃないの。それは別に好きって程のもんじゃないんじゃないの」 好きなら知識も勝手に拾おうとするし、行動するから技術もついてくる、みたいな感じでしょうか? そんな人に向けて言った次の言葉を私は大切にしたいなと思っています。 「好きを理由に知識や技術が広がるものもあれば、在るだけで居るだけで幸せな好きもある。」 自分の話に戻します。 小説に関しては、気が向いたときに本屋に行き図書館に行き、ちょっといいなと思ったのを手にとってくらいなので、最新情報とかは全く見ません。 でも本を読むのは大好きですし、他の人のおススメの本を知りたいし読みたい。 別に知識なんてなくたって技術なんてなくたって、そこからつながっていく、 人から人へつながっていく世界であってほしいなと強く思います。 なんかわからないけど好きなこと、 なんかわからないけどやりたいと思ってしまったこと。 別に形になる必要がなくたって、何か没頭できる世界があって、そこに人が集まって、 やっていくうちにそれらの一つが運よく世間で言われる成功と呼ばれるものにでもなればいいのではないかなと思っています。 そしてそんな世界を創りたいなとも思っています。 没頭に人と運が結びつき共鳴するビジョンの実現に向けて、頑張っていけたらなと思います。 << 前記事 自利利他って自利が先なんですよね  |  次記事 投稿100個目から振り返ってみた >>

自利利他って自利が先なんですよね

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自利利他という言葉を聞いてふと思ったことを記そうと思います。 まず前提として、「自利利他」とは、仏教用語で、 自らの悟りのために修行し努力することと、他の人の救済のために尽くすこと。 この二つを同時に行うこと。また自らの努力により得たものを他人にも還元する、他人の為に動くことで自分も成長し何かしらのものを得ることです。 という意味です。(出典: https://hasunoha.jp/questions/12873 ) 難しく書かれている気がしますが、 「自分ハッピー他人ハッピー」くらいにとらえればいいかなと個人的に思っています。 最近だと「Win-Winの関係」なんてことが言われたりしますが、近い意味なのかもしれません。 さて今まではこの言葉を聞いても、特段思う所なかったのですが、 今回はちょっと思う所がありました。 タイトルにもある通り、自利利他って自利が先なんですよね。 何でこんなこと思ったかと言うと最近ある方から、論語と算盤の話をいただきました。 日本資本主義の父とも言われた渋沢栄一の著書です。 その方が言うには、論語と算盤は論語という単語が先にきていると。 語順にも意味があって、論語が先にあって算盤がそこに肉付けされていくと。 意味わかりづらいですが、語順にも意味付けがあるということです。 その上で自利利他という言葉を見ると、自利が先だなとふと思ったわけです。 意味のところにも書いていますが、「自らの努力により得たものを他人にも還元する」とあるように、 まず先に自分が得る、自分が幸せになってから、他人にそれを与えると考えるのが正しいのかなとふと思った次第です。 周りの人のためにお客様のためにというのがどこまで正しいかは私の論ずるところではありませんが、 自利利他という言葉を使われるなら、(他の言葉でも同様だと思いますが) 改めて意味や成り立ちを考えてみてもいいかと思います。 << 前記事 週末何してますか?  |  次記事 根拠や理由なんてものがなくても生きる世界でありたいと思う >>