好きの多様性

AKBグループのディレクターである秋元さんが、
ファンの人にTシャツを配ろうとしたことがあって、
それでファンの人に怒られたというお話があります。
AKB48の初期を振り返り、ステージの盛り上がりに欠けるなか、大きな声で声援を送るファンの存在に注目していたことを明かす。
そこで「ああいう人が、いっぱい来てくれたらいい」と、秋元氏は毎回観客のMVPを決める戦略を立て「MVP用Tシャツ」を1000枚用意したというのだ。
だがこの企画は不評で、あるひとりのファンがすぐに秋元氏に「ファンっていうのは大声を出したり、アクションで応援するだけが応援じゃない」「心の中でそっと応援してるのも応援なんだ。あんなパフォーマンスだけでMVPっていうのはおかしいじゃないか!?」と指摘。

確かに応援の形も好きの表現の形もいろいろあるのだろうと思います。
好きと一言で言っても、歌なのか?ダンスなのか?容姿なのか?ファンへの対応なのか?理由も様々でしょう。
もちろん理由なんかなくてなんとなく好きというのもあると思います。
ただ気持ちは表現して初めて伝わるので、どこかで表現は必要だとは感じますが。

好きにも多様性ってあると思いますし、あっていいんだと思います。
理由が違ってもいいし、なくてもいい。
好きなことに対する知識が多くてもいいし、少なくてもいい。
人生の役に立ってもいいし立たなくてもいい。

役に立つかどうかに関して私としては、以前聞いたこちらの意見を推したいところです。
人生なんて「楽しく生きる」「幸せに生きる」ことが究極の目標なんだから、
趣味をして楽しい、幸せと感じられるなんてめちゃくちゃ役に立っている。
私自身は小説を読むのが好きだし、ゲームで特にRPGが好きだし、ネットで企業事例や就活の動画を見るし、買ったCDで音楽を聴くのも好きだし。
同じものが好きな人がいても好きな理由もバラバラでよくて、
そんな理由で好きなんて言うなんて許せないとかも必要ないと思います。

「すべてのジャンルはマニアが潰す」という言葉じゃないですけれど、
お互いの好きの価値観を認め合えたらいいなと思います。

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