敵なんて世界にいないのだ、きっと

今朝ふと思い出した。
そういえば以前、自分が敵だということの意図が全く理解できないというようなことを書いたことがある。
そしてそれはいまだに変わっていない。

過去の自分に驕ることなく、過去の自分が達成した目標を超えることが大事ということはわかる。
ここに異論はない。
自分のサボろうとする心、怠けようとする心を乗り越え、目的・目標に邁進する必要がある。
これもわかる、異議は全くない。
だから敵は外にはいない。
ここも特に別の意見はない。
だから敵は自分である。
ここはまったくわからない。

何かが起こったとき、何かをしようとしたとき、一番近くにいるのは言うまでもなく自分である。
その一番身近にいる人が敵だなんて想像はしたくない。
わかりやすくするために、自分以外の一番身近な人が実は敵でした、なんて状況だと仮定してみてほしい。
こんな状況で安心して何か成し遂げようとすることができるのだろうか?

過去の成功に驕らない、サボろうとしない、ということは、自分を敵と認定しなければできないことなのだろうか?
こういうことを諭してくれる人が自分以外にいるとすれば、その諭してくれる人はむしろ味方なのではないだろうか?
そんなことを思います。


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