お金の価値はどう保証されているか?

昨日、キャッシュレスの勉強会を会社の先輩に開いていただきました。(正確には「災害時におけるキャッシュレス決済について」)

その中で今後キャッシュレスが進み、マイナンバーとお金の流れが紐づき、国に全て管理されるようになるかも、というようなお話がありました。

家に帰って考えていてふと思ったのが、お金の価値の保証を誰がするようになっていくのだろうか、というかなりどうでもいいことを考えていました。
今回はそのことをつらつらと書いていきますので、お金のことなんて別に聞く必要もないなあと思われる方はブラウザバックをおススメします。


さて、何でこんなことを思ったかというと、昔学校で習った「不換貨幣」と「兌換(だかん)貨幣」の話を思い出したからです。

今の日本の貨幣は不換貨幣、すなわち交換できないお金です。
反対の言葉が兌換(だかん)貨幣、交換できるお金です。

何と交換できて何と交換できないのかといえば、基本的には金(きん)、ゴールドですね。
昔のお金というのは、金と交換できることによって、お金の価値を保証していました。

どういうことかというと、1,000円はこの量の金と交換できるだけの価値がありますよ、ということです。
金は世界的に見ても安定性が高い金属として名高く、劣化もしづらく、普遍的な価値のものさしとして使うことが出来ました。

ただ金の量が世界的に見ても足りなくなってきます。
この1,000円をいつでも所定の場所にもっていけば金と交換してくれるからこそ、価値があったけれど、それすらもないとしたら、誰が原価数円もしない1,000円札と物を交換するでしょうか?

金が足りなくなったことで代わりに保証するようになったのが、国(政府)です。
国がこの1,000円札には1,000円の価値があるから、国内で使って大丈夫と保証しているから、私たちは1,000円札で買い物ができるようになっているわけです。

これが今の貨幣の考え方です。


キャッシュレスが進むとこの貨幣という物理的な存在がなくなってきます。
全てデータで管理・保管されるようになります。
では、このデータの上での数字が1,000円の価値があると、誰が保証するようになるのでしょうか。

今このデータの数字が価値を持つのは、最後には貨幣に変えることができるからと(勝手に)推測すると、完全なキャッシュレス社会では、この貨幣がなくなり、価値の保証ができなくなります。
そうするとこのデータの数字って使えるものなのでしょうか。
まあその時代には何かしら解決がなされているのと思うので、心配しても仕方ないのですが。

ただこれは余談として、お金が全てデータになるということ、そして国に管理されるとすると、国が勝手にデータを書き換えるだけで、簡単に国民を操ることができると言う人もいます。
だから海外にお金置いたりしたほうがいいよ、という話にもなるのかもしれません。


キャッシュレス後進国と言われる日本も、キャッシュレスの流れは止められません。
そこに順応していかなければなりません。
ただそのときにも、ただ従うのではなく、ただ考えなしに賛成・反対を唱えるのではなく、少し考えをめぐらしてみると、見えていなかったものが見えてくるかもしれません。

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